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大崎洋さんは、吉本興業元会長であり、漫才ブームダウンタウンの若手時代を支えた名プロデューサーです。

そして、1978年の吉本興業に入社後の現在までのすごい経歴仰天エピソードがあることが分かったので、調査してしました。

そんな大崎洋さんについて、現在までの経歴がすごい昔の仰天エピソードまとめダウンタウンとの関係という流れで、詳しくご紹介していきます。

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吉本興業の大崎洋元会長の現在までの経歴がすごい

大崎洋さんは、1953年7月28日生まれで、大阪府堺市の出身です。

そして、1978年に「関西大学社会学部」を卒業後、吉本興業に入社しました。

大崎洋,吉本興業,会長,経歴下記は、入社後の大崎洋さんの主な経歴の一覧です。

1980年「吉本興業東京支社」異動
1982年「吉本総合芸能学院」担当社員
2000年「株式会社ファンダンゴ」取締役
2001年「吉本興業」取締役
2001年「株式会社アール・アンド・シー」取締役
2002年「株式会社有明スタジオ」取締役
2006年「吉本興業」取締役副社長
2009年「吉本興業」代表取締役社長
2019年「吉本興業」代表取締役会長
2020年「情報経営イノベーション専門職大学情報経営イノベーション学部」超客員教授
2022年「近畿大学」客員教授
2023年「大阪・関西万博催事検討会議」共同座長

参考元:Wikipedia

上記の経歴より、色々な要職を務め、約10年間に渡り、吉本興業社長を務めていることが分かります。

大崎洋,吉本興業,会長,経歴そんな大崎洋さんは、1980年に上司であった木村政雄さんと共に東京支社に異動後は、漫才ブームを築きました。

なお、木村政雄さんは、横山やすしさん・西川きよしさんのマネージャーを8年半務め、東京支社の所長をしていました。

さらに、大崎洋さんは、吉本興業の企業としての近代化を進めると共に、新たな劇場建設若手育成に力を注いできました。

しかし、会社の方針に従わない芸人やタレントを大胆にリストラし、不祥事・モラルに反する行為を起こしたタレントに対し、厳格な措置を取るという厳しい一面があります。

その後、2023517日に「大阪・関西万博催事検討会議」の共同座長に就任するため、吉本興業の会長2023427日に退任しました。

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吉本興業の大崎洋元会長の昔の仰天エピソードまとめ

下記は、大崎洋さんの主な昔の仰天エピソードの一覧です。

エピソード1

吉本興業に入社した理由は、当時サーファーだったために、私服で通勤が可能な会社だったからである。

エピソード2

入社当初は仕事に対して特別やる気もなく適当に仕事をしていたが、ある日、会社の同僚と徹夜でマージャンをした時に、終始一人負け続けたことがあり、夜が空けた明け方近くまでずっと負け続け、はおもむろに立ち上がり、カーテンと窓を開けて外に向かって大きな声で「絶対に出世する!」と怒鳴り声を上げた。その日以来、仕事に対する姿勢は一変し、最終的に社長職に就くという出世を果たしました。

エピソード3

東野幸治さんは、かねてより大崎洋会長の能力を崇拝しており、自分の子供の名前をつける際、姓名判断の占い師に相談したついでに大崎洋会長の名前も鑑定してもらったところ、掃除夫から社長になる男との診断を受けた。

エピソード4

ダウンタウンのごっつええ感じにて、ダウンタウンの2人が打ち合わせ中に大喧嘩するというドッキリの仕掛け役としてテレビ出演し、そのリアルな演出にすっかり騙された今田耕司さんが本気で泣いてしまった。

上記のように、大崎洋さんは、周りのタレントや業界関係者も一目置く存在であり、プロデューサーとしての才能もあることが分かります。

ちなみに、20233月に初めての著書「居場所。」を出版、発売2週間で発売部数が異例の5万部突破のヒット作となるなど、影響力がすごい人物であることが分かります。

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吉本興業大崎洋会長とダウンタウンの関係は?

大崎洋さんは、多くの吉本所属タレントの中でも、特にダウンタウンと強い関わりがあります。

大崎洋,吉本興業,会長,ダウンタウン,関係1982年に吉本総合芸能学院NSC)の開校時の担当社員となり、無名時代のダウンタウンの兄貴分・マネージャー的存在として業界に関する様々なことを指導しました。

さらに、1980年代、まだ松本人志さんが20歳頃、仕事が無く暇を持て余していたため、2人で映画館銭湯などによく行っていました。

大崎洋,吉本興業,会長,ダウンタウン,関係その後、ダウンタウンは下記の賞を含め、多くの漫才コンテストで活躍し、大阪での確かな地位を確立していきました。

1984年
  • 第14回NHK上方漫才コンテスト:優秀賞
  • 第5回ABC漫才・落語新人コンクール:最優秀新人賞

大崎洋,吉本興業,会長,ダウンタウン,関係そして、大阪で人気の頂点に立ったダウンタウンを東京に進出させ、ダウンタウンがメインの番組には、プロデューサー・オーガナイザーなどとして参加していました。

なお、松本人志さんは、「大阪で満足していたが、遠くて近い外国・TOKYOに無理やり移住させられた。」とネタにしています。

また、大崎洋さんが、当時通っていた広いスポーツジムの25メートルプールで松本人志さんと下記のようなやり取りをしました。

大崎洋会長)俺が端から端まで息継ぎせんと泳げたら、これから先お前がどんだけ売れても、俺の言うこと1つだけ聞いてくれ。

松本人志さん)いいですけど。

引用元:Wikipedia

なお「この業界で成功しそうにない」とお互い思っていたから上記ように答えましたが、大崎洋さんは、本当に潜水してみせました。

そして、その20年後、本当に売れた松本人志さんは「1つだけって、なに言われるんやろ?断ったろ思ってんねんけど。」とネタにしていました。

しかし、松本人志さんが、なかなか折れないある出来事があった時に「あのときのプールの約束、今使うわ。」と大崎洋さんが言うと「こんなときにですか。」と言いつつ「わかりました。」と苦笑しながら了承したそうです。

上記のように、ダウンタウンの現在の活躍の影には、大崎洋さんの面倒見の良さやプロデュース力が大きく影響しているのではないかと思います。

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