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女子フィギュアスケート選手の三原舞依選手は、難病を乗り越え、2017年の「四大陸選手権」でシンデレラのプログラムで優勝を果たしました。

このシンデレラストーリーから氷上のシンデレラと呼ばれるようになり、その後の活躍に多くのフィギュアスケートファンから注目を集めています。

そんな三原舞依選手について、出身高校大学三原舞依選手の難病フィギュア経歴まとめという流れで、詳しくご紹介していきます。

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三原舞依選手の出身高校大学はどこ?

三原舞依,女子フィギュアスケート三原舞依選手は、小学2年生の時にテレビで観た浅田真央選手に憧れて、フィギュアスケートを始めたそうです。

そんな三原舞依選手について、Wikiプロフィール出身高校出身大学という流れで、ご紹介していきます。

三原舞依選手のWikiプロフィール

三原舞依,女子フィギュアスケート
名前:三原 舞依(みはら まい)
別名:氷上のシンデレラ

生年月日:1999年8月22日
年齢:25歳(2024年時点)
出身地:兵庫県神戸市
血液型:A型
身長:156cm
趣味:ショッピング・音楽鑑賞・けん玉・スケート鑑賞・写真
所属クラブ:シスメックス
マネジメント:IMG TOKYO

参考元:Wikipedia三原舞依選手 Sysmex

三原舞依選手の家族構成は、父親・母親・兄の4家族です。

スケート鑑賞が趣味とは、それほどスケートが好きであるということが伝わってきます。

所属クラブのシスメックスには、坂本花織選手も所属しています。

三原舞依選手が1歳年上ですが、お揃いのモノを買ったり、お互いの誕生日にプレゼントを贈り合ったりしています。

さらに、お互いをかおちゃんまいちゃんと呼ぶ合う大親友だそうです。

ちなみに、インスタグラム(sysmex_figureskatingteam)は、約4.5万人以上のフォロワー数を誇る人気があるので、チェックしてみてはいかがでしょうか?

三原舞依選手の出身高校はどこ?

三原舞依選手の出身高校は、兵庫県立芦屋高等学校です。

三原舞依,女子フィギュアスケート,高校時代三原舞依,女子フィギュアスケート,高校時代この高校は、1940年創立の神戸件芦屋市にある公立の高等学校であり、略称は芦高です。

同校は、サッカー部・ヨット部・カヌー部・ラグビー部が強い学校であり、関西の難関私立大学合格者を多く輩出、学力的にも高い学校です。

同校出身のフィギュアスケーターは、三原舞依選手だけですが、スポーツ界などに多くの著名人を輩出、サッカー元日本代表監督の加茂周さんです。

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三原舞依選手の出身大学はどこ?

三原舞依選手の出身大学は、甲南大学経営学部です。

三原舞依,女子フィギュアスケート,大学時代三原舞依,女子フィギュアスケート,大学時代三原舞依選手は、甲南大学経営学部指定校推薦合格し入学しました。

指定校推薦は、推薦できる生徒の人数も決められていますし、学校での成績がある程度良くないと推薦枠にも入ることが出来ません。

そのため、フィギュアスケートの練習と学業を見事に両立していたのだ思います。

フィギュアスケートは海外などで大会があるので、授業への参加が出来ない時があったり、テスト勉強の時間を作ることもなかなか大変だったと思います。

上記より、三原舞依選手は、本当に努力家で真面目な性格なのだと思います。

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三原舞依選手の難病とは?

三原舞依選手が抱えていた難病指定の病気とは、若年性突発性関節炎という名前の病気です。

この病気を発症したのは、2015年のジュニアシーズンの時期だったそうです。

下記に、若年性突発性関節炎について、簡単にご紹介します。

若年性特発性関節炎 (Juvenile Idiopathic Arthritis:JIA) は、16歳未満の子供に起こり、原因が分からず、関節炎の症状が6週間以上続く病気です。

また、子供のリウマチ性疾患の中で最も多く見られる病気であり、以前は若年性関節リウマチと呼ばれていました。

なお、若年性突発性関節炎は、その症状から大きく全身型小関節炎型多関節炎型の3つに分類されます。

ただし、早期治療を行うことで、健康な人と同じように不自由なく生活仕事ができる状態、もしくは、多少の障害はあっても普通の生活ができる状態にまで回復することができます。

しかし、適切な治療を受けられない場合には、炎症が続くことにより、関節が壊れてしまい、関節としての機能が果たせなくなる(曲げ伸ばしができなくなって固まってしまう)可能性があります。

参考元:あゆみ製薬 リウマチ情報ポータル

三原舞依選手は、病気が発症した当初は、足・肘・肩までもが動かせない状態であり、歩くことさえ出来なったそうです。

三原舞依,女子フィギュアスケート,難病,克服そのため、スケートを滑ることなんて出来ない状態でしたが、挫折したり、夢を諦めることをするのでなく、下記のように自身を奮い立たせたそうです。

病気に負けたくない!
病気をする前の自分を超える!

そして、2週間ほど入院することになり、退院後もスケートでジャンプすることが出来ない日々が5週間も続いたそうです。

しかし、病院での点滴治療をしながら、ジャンプ以外の関節に負担のかからないような筋力トレーニングを中心的に行っていました。

その後、2016年9月の国際大会である「ネーベルホルン杯」が復帰戦となり、なんと技術点トップで優勝を果たしました。

この優勝は、難病と言われる病気と強い精神力で向き合い闘病中に出来る限りの練習を必死に行った凄まじい努力の結果なのだと思います。

この大会で優勝を果たすまでのシンデレラストーリーにより、三原舞依選手氷上のシンデレラと呼ばれるようになりました。

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三原舞依選手のフィギュア経歴まとめ

ノービス時代

「全日本ノービス選手権Aクラス」3位
「全日本ジュニア選手権」8位
「プランタン杯」優勝

ジュニア時代

「アジアフィギュア杯」2位
「全日本ジュニア選手権」2位
「全日本選手権」12位
「ガルデナスプリング杯」優勝
「アジアフィギュア杯」優勝
「JGP J&Tバンカ」2位
「JGPオーストリア杯」2位

シニア時代

2016年「ネーベルホルン杯」優勝
2016年「全日本選手権」3
2017年「四大陸選手権」優勝
2018年「四大陸選手権」2位
2018年「プランタン杯」優勝
2018年「全日本選手権」4
2019年「四大陸選手権」3位
2019年「ユニバーシアード冬季競技大会」優勝
2020年「NHK杯」4
2020年「全日本選手権」5位
2021年「GPイタリア杯」4位
2021年「全日本選手権」4位
2022年「四大陸選手権」優勝
2022年「GP MKジョン・ウィルソン杯」優勝
2022年「GPエスポーグランプリ」優勝
2022年「GPファイナル」優勝
2022年「全日本選手権」2位
2023年「ユニバーシアード冬季競技大会」優勝

三原舞依選手は、2017年の「四大陸選手権」では、その当時の自己ベストである200.85点で優勝を果たしました。

三原舞依,女子フィギュアスケート,優勝,四大陸選手権これは、 国際大会での合計200点超えは日本人選手としては、浅田真央選手・安藤美姫選手・宮原知子選手に次いで4人目の達成者でした。

その後も「世界国別対抗戦」でショートプログラムの自己ベストを更新、フリーでは歴代日本選手最高146.17点を叩き出し、自己ベストを218.27点に更新しました。

三原舞依選手は、難病を発症した時に決めた「病気をする前の自分を超える!」という目標を見事に達成しました。

そんな難病を強い気持ちや凄まじい努力で乗り越えた三原舞依選手の今後の国際大会・オリンピックでの活躍が非常に楽しみであり、引き続き応援していきたいと思います。

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