スポンサーリンク
尾車部屋所属の矢後は、大学卒業後の2017年5月場所で初土俵を踏み、2019年1月場所から入幕を果たした今後の活躍が期待されている力士です。
なお、幼少期から規格外の体格をしており、出身高校や大学時代の相撲経歴が凄いことでも有名であり、「四股名が何に変わるのか?」にも注目を集めています。
そんな矢後について、本名・出身高校大学での相撲経歴まとめ・四股名は変わるという流れで、詳しくご紹介していきます。
スポンサーリンク
矢後の本名は?
矢後の本名は、矢後太規(やごたかのり)です。
まだ幕内デビューしたばかりということもあると思いますが、本名で土俵に上がっている珍しい力士です。
名前:矢後(やご)
本名:矢後 太規(やご たかのり)
愛称:ヤゴちん
生年月日:1994年7月8日
年齢:30歳(2024年時点)
出身地:北海道河西郡芽室町
血液型:A型
身長:188cm
体重:177kg
趣味:スポーツ観戦
所属部屋:尾車部屋→押尾川部屋参考元:Wikipedia・日本相撲協会公式サイト
矢後の家族構成は、父親・母親・兄・妹の5人家族です。
インタビューによると、矢後という姓のルーツは富山県にあるそうです。
そんな矢後は、約3,000グラムで生まれましたが、1歳で10kgに成長し、父親は「あっという間に背負うのが大変になった。」と語っています。
そして、幼稚園の頃から水泳を始めて、小学校4年生までは柔道も並行して習っていました。
上記のように、1歳から規格外の体格をしており、水泳と柔道を習うなど、アスリートとしての才能を着々と育んでいたのだと思います。
スポンサーリンク
矢後の出身高校大学での相撲経歴が凄い
柔道をしていた矢後は、芝田山親方杯少年相撲大会に初出場ながら、初優勝を果たしました。
その時に「相撲って楽しいな。」と喜びを感じ、地元の相撲指導者の誘いで、小学5年生から地元の十勝相撲道場で相撲を習い始めました。
北海道出身の元横綱の大乃国の名前を冠する大会にも出場しています。
そんな矢後の相撲経歴について、出身高校での相撲経歴まとめ・出身大学での相撲経歴まとめという流れで、ご紹介していきます。
矢後の出身高校での相撲経歴まとめ
矢後の出身高校は、埼玉栄高等学校です。
この高校は、全国屈指の相撲部の強豪として知られており、今まで獲得した全国タイトルは、全国高校最多の計19回(インターハイ10回・選抜9回)です。
矢後は、芽室町立芽室西中学校時代に、下記の経歴を持ち、圧倒的な強さだったため「強いところでやりたくて」という想いから同校に進学しました。
北海道中学校大会:3連覇
道小中学生選手権・中学男子の部:連覇
そして、この高校の卒業生には下記の主な力士たちがいます。
豪栄道(大関)・貴景勝(関脇)・妙義龍(関脇)
なお、矢後は中学時代に、左膝前十字靭帯断裂・半月板損傷・右膝前十字靭帯損傷の大怪我を負っていました。
そのため、高校入学時点では、膝の怪我のため、四股も踏めず、黙々とちゃんこ番をこなす毎日を送ったそうです。
相撲部の山田道紀監督は、当時の矢後のことを下記のように語っています。
文句も言わず、諦めることもなく、懸命にリハビリを続けていました。真面目な性格の生徒でした。
引用元:Wikipedia
そして、高校時代のタイトルは3年間の努力が実り、岐阜国体での団体優勝を果たしています。
スポンサーリンク
矢後の出身大学での相撲経歴まとめ
矢後の出身大学は、中央大学の法学部法律学科です。
矢後は、相撲部主将を務めた4年生の時に、全国学生相撲選手権大会でベスト8入りを果たしています。
そして、学生として最後の大会となった全日本相撲選手権大会で個人優勝、アマチュア横綱のタイトルを獲得しました。
なお、中央大学からは、1990年の武哲山以来26年ぶりであり、北海道出身者としては52年ぶりの快挙でした。
この優勝がきっかけで、大相撲の幕下15枚目格付出の資格を得ています。
なお、中央大学相撲部の平岩大典監督は、大学時代の矢後のことを下記のように語り、今後の活躍を期待しています。
真面目にコツコツやるタイプです。素直でもあります。きつい練習のときでも、素直に話を聞きます。下半身強化の練習を自ら考えて、器具を持ちこんでやっていた。責任感が強く、部員みんなを引っ張っていった。これからは今まで以上に下半身強化を心がけ、頑張ってもらいたい。
また、卒業生の主な力士は下記です。
出島(大関)・玉春日(関脇)・豪風(関脇)
参考元:Wikipedia
そして、2017年2月7日に尾車部屋へ入門することを発表しました。
3部屋以上から勧誘を受けていましたが、尾車親方の論理的な指導方法のほかに、同じ中央大学出身の豪風が所属しているという事情もあり、この部屋を選んだそうです。
スポンサーリンク
矢後の四股名は変わる?
矢後は、2017年5月場所で初土俵を踏み、幕内昇進は、10場所とスピード出世でした。
しかし、初土俵から3場所目には十両昇進を果たしましたが、幕下陥落も経験しています。
そのため、矢後は「少し時間がかかってしまった。」と語っていました。
そして、十両昇進時から改名が注目されていましたが、幕内でも矢後の四股名で勝負すると会見で語っています。
ちなみに、尾車部屋では代々、関取になると師匠の現役時代の四股名の1文字をとって風をつけています。
現役では、幕内の嘉風・豪風、十両の天風がいます。
尾車親方は、十両昇進時に改名せず、本名で行くことに関して、下記のように語っていました。
まだこの世界に入って2場所。まだヤゴじゃないか。トンボになって羽ばたいたら改名しよう。北海道の人に「矢後」の名を広めれば親孝行にもなる。慌ててトンボになる必要もない。羽根を温めて、羽ばたいたら改名すればいい。
引用元:大相撲:日刊スポーツ
そして、今回の幕内昇進時に改名せず、本名で行くことにに関して、尾車親方は、下記のように説明しています。
矢後の両親が大事にしている名前だし、親孝行にもなる。
引用元:大相撲:日刊スポーツ
なお、尾車親方の頭の中では、すでに候補となる四股名が浮かんではいるようです。
琴風襲名の可能性をインタビューで問われると、下記のように答えています。
もう1回琴風が生き返ってくれたらそれ以上のことはない。全然、永久欠番じゃないので。
引用元:大相撲:日刊スポーツ
矢後も「自分には荷が重い気もするけど、襲名するぐらいの気持ちでやりたい。」と力強く語っていました。
上記のことから、しばらくは、矢後という四股名で相撲を取ると思いますが、琴風へ改名する可能性とその日もそれほど遠い話ではないと期待してしまいます。
そんなまだ幕内デビューしたばかりの矢後の今後の活躍と改名を楽しみに、引き続き応援していきます。
スポンサーリンク