宮原知子の両親は医師でお金持ち?祖母が父母の代役だった真相は?
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宮原知子選手は、浅田真央選手以来の全日本選手権4連覇という偉業を果たした日本を代表するフィギュアスケート選手です。

そして、両親医師で「実家はお金持ち?」というがあります。

さらに、仕事で忙しい両親に代わり、祖母宮原知子さんの面倒を見ていたという情報があります。

そんな宮原知子選手について、父親と母親は医師実家はお金持ち祖母が父母の代役だった真相という流れで、詳しくご紹介していきます。

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宮原知子選手の父親と母親は医師?

宮原知子選手の父親と母親は医師?について、ご紹介していきます。

宮原知子選手は、両親の都合幼少期から7歳までアメリカのテキサス州ヒューストンで暮らしていました。

スケートを始めたのは4歳であり、両親から「やってみる?」と言われて、滑ってみたら楽しかったから続けたそうです。

そして、両親は、父親母親もどちらも医師をしているそうですが、どのような医師なのかどこの病院勤務なのかどのような人なのか、ということがが気になると思います。

そのため、父親は医師でどんな人母親は医師でどんな人という流れで、ご紹介していきます。

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宮原知子選手の父親は医師でどんな人?

宮原知子選手の父親は医師でどんな人?について、ご紹介していきます。

宮原知子選手の父親は、宮原 亮みやはら りょう)さんです。

宮原知子,女子フィギュア,スケート,父親父親は、1987年京都大学医学部を卒業されています。

いわゆるエリートなのかと思いきや、高校時代の成績はあまりよくなかったそうです。

逆に、運動神経だけは良い体育会系の生徒であり、大学体育大学を勧められていました。

しかし、高校3年生の時に、いきなり医学部を目指すと言い出し、猛勉強をして京都大学医学部合格したそうです。

現在父親は、京都市立病院呼吸器外科部長をされています。

さらに、京都大学医学部付属病院呼吸器外科講師も務めています。

また、2002年テキサス大学付属MDアンダーソンがんセンター留学経験があります。

上記のような凄い経歴を持ち、さらに下記のような肩書きもお持ちの方です。

日本外科学会専門医
日本胸部外科学会認定医
日本呼吸器外科学会専門医評議員
日本臨床腫瘍学会暫定指導医
日本呼吸器学会呼吸器専門医

参考元:京大呼吸器外科

上記の経歴から、宮原知子選手の運動神経の良さ努力家なところは、父親に似たのだと思います。

宮原知子,女子フィギュア,スケート,父親さらに、宮原知子選手を小学2年生から指導してきた濱田美栄コーチからも以下のように評価されています。

今まで指導して選手の中で一番の努力家である。

参考元:Wikipedia

そして、宮原知子選手の将来の夢は、「オリンピックで金メダルを取ること」・「スポーツ医になること」です。

今まで父親の背中を見てきたからこそ、医師としてのジャンルは違えどこのような夢を持ったのではないかと思います。

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宮原知子選手の母親は医師でどんな人?

宮原知子選手の母親は医師でどんな人?について、ご紹介していきます。

宮原知子選手の母親は、宮原 裕子みやはら やすこ)さんです。

宮原知子,女子フィギュア,スケート,母親上記の母親の画像から宮原知子選手は、父親ではなく母親に似ているということが分かります。

なお、母親出身高校出身大学の情報はありませんでした。

しかし、学生時代は、弓道部に所属していたという情報がありましたが、運動神経は特別良かった訳ではないようです。

現在の母親は、父親と同じ京都市立病院血液内科副部長をされています。

人の命を預かる医師でもあり一人の母親でもある宮原裕子さんは、以下のように語っています。

患者さんが一番。でも娘のやりたいことは全力で応援する。指導医としても後輩医師に恥ずかしくない背中を見せたい。

医師は、非常に忙しそうなイメージがありますが、上記の言葉の通り、忙しい中でも娘のサポートも全力でやっているのだと思います。

宮原知子選手の特徴的な性格として、以下のような情報がありました。

寡黙で引っ込み思案ではあるが、内に秘めた闘志は熱いものを持っている。

真面目で練習量も多く、黙々といつまでも練習するタイプであり、学校が終わると毎日まっすぐにリンクに向かい練習する

参考元:Wikipedia

上記のように、宮原知子選手は、容姿メンタル的な強さ母親から、運動神経の良さ努力家で真面目な部分は父親からバランス良く受け継いでいるのだと思います。

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宮原知子選手の実家はお金持ち?

宮原知子選手の実家はお金持ち?について、ご紹介していきます。

フィギュアスケートかなりお金がかかるスポーツですので、お金持ちではない家庭では、かなりの負担がかかります。

宮原知子,女子フィギュア,スケートフィギュアスケートは、下記のように何をするにもお金がかかります。

毎日の練習のリンク使用料
コーチの指導料
曲代
振り付け代
スケート靴代
衣装代
海外への遠征費

上記の具体的な料金は分かりませんが、曲や振り付け代もレベルが高いと1曲100万円もする場合もあるそうです。

そして、スケート靴もモノによるそうですが、1足5万~20万円ほどであり、年間で2足~3足替える必要があるそうです。

さらに、国内だけではなく、国際大会への出場もあるので、遠征費数百万円~1,000万円するそうです。

しかし、宮原知子選手の両親医師です。

さらに、父親部長母親副部長をしているので、お金持ちの家庭だと思います。

だいたいの年収となりますが、医師の部長クラス年収1,500万円以上であり、両親はどちらも役職なので、おそらく3,000万円以上の年収があるのではないかと思われます。

なお、宮原知子選手は、2017年4月平昌オリンピックを見据えてスケートの練習に集中するため、在籍していた関西大学休学しました。

そして、住宅メーカーの木下工務店などを傘下とする木下グループ嘱託契約を結んでいるので、現在十分なサポートを受けていると思います。

フィギュアスケートはお金がかかるスポーツなので、資金面が原因競技を続けていけなくなるケースもあるそうです。

宮原知子選手はそのような心配がなく、スケートの練習に集中できる環境なのだと思います。

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宮原知子選手の祖母が父母の代役だった真相は?

宮原知子選手の祖父が父母の代役だった真相は?について、ご紹介していきます。

宮原知子選手は、現在では日本のエースに成長していますが、4歳からアメリカのスケート教室に通い始めました。

しかし、言葉の壁もあり他の参加者と交じろうとせず母親が「これはダメだ。」と思い、2ヶ月で辞めさせたそうです。

なお、日本にいる祖父母から、「何で簡単にやめさせたんだ。続ければ、浅田真央ちゃんみたいになれたかもしれないのに。」と電話口で怒られました。

そして、グループレッスンからマンツーマンレッスンに切り替え、日本に帰国後もひた向きに練習に取り組んでいったそうです。

現在宮原知子選手の活躍があるのは、もちろん本人のひた向きな努力の賜物であるとは思いますが、祖父母の言葉や支え大きなきっかけとなっていると思うので、祖母はどんな人祖母と宮原知子選手のエピソードまとめという流れで、ご紹介していきます。

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宮原知子選手の祖母はどんな人?

宮原知子選手の祖母はどんな人?について、ご紹介していきます。

宮原知子選手の祖母は、宮原淳子さんです。

祖母は、京都府山科一人暮らしをしています。

祖父は、宮原明さんといいますが、2014年に亡くなられており、製薬会社で薬の分析をする研究職でした。

ちなみに、宮原知子選手は、祖母からサトちゃんと呼ばれています。

両親は、医師のため、常に忙しく家を不在にすることが多いため日々の面倒を祖母が見ていたそうです。

過去に、練習のホームリンクである醍醐スケートリンクが閉鎖されてしまったことがあり、家からはやや遠い大阪奈良兵庫のリンクに通う必要がありました。

その毎日の練習への付き添いを祖母がやってくれていたそうです。

祖母は、毎日夜食用のお弁当を作り、学校まで迎えに行ったそうです。

しかし、運転免許を持っていなかったため一緒に電車に乗って練習リンクまで行ったそうです。

そして、練習の帰りには、両親のいずれかが迎えに来てくれたそうです。

上記のように、宮原知子選手にとって、祖母は感謝しても感謝しきれないほどの存在であり、祖母孫の活躍を誇らしく思っているのだと思いますし、素敵な関係性だと思いました。

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宮原知子選手と祖母のエピソードまとめ

宮原知子選手と祖母のエピソードまとめについて、ご紹介していきます。

宮原知子選手は、必ず週に1回祖母の家に遊びに行くそうです。

祖母は、孫の好物である魚料理肉じゃが野菜の天ぷらなどの手料理を振舞うのが楽しみであり、以下のように語っていました。

2014年秋に夫を亡くし、一日に一言も話さない日もあります。さとちゃんの心遣いが嬉しい。

さらに、寒くなってきた秋頃に、孫の宮原知子選手から薄茶色のダウンジャケットプレゼントしてもらった時のことを笑顔で下記のように語っていたそうです。

私、泣きました。「ばあちゃんに合う色、どれかな。」と迷ったらしいですわ。優しいんです。

そして、宮原知子選手が平昌オリンピックに出場した時は、祖母にとっては初海外であり、パスポートを取り、応援に行ったそうです。

その時の孫である宮原知子選手への想い祖母は以下のように語っていました。

さとちゃんの夢がかなったんですから、出場できただけでもうれしい。楽しんで滑って、悔いの残らない、自分なりの試合ができたら十分です。

上記より、宮原知子選手は、今までの祖母への感謝を忘れずに祖母に対して出来る限りの恩返しをしていることが分かります。

さらに、祖母もその宮原知子選手の想いをしっかり受け止め、心の底から最大限の応援をしている本当に素晴らしい関係だと思います。

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最後に【両親は医師でお金持ち?祖母が父母の代役だった真相は?】

宮原知子選手について、調べた内容のまとめをご紹介していきます。

宮原知子選手は、両親の都合幼少期から7歳までアメリカのテキサス州ヒューストンで暮らしていました。

スケートを始めたのは4歳であり、両親から「やってみる?」と言われて、滑ってみたら楽しかったから続けたそうです。

そんな宮原知子選手にスケートを始めるきっかけを与えた両親は、父親母親もどちらも医師をしています。

父親は、宮原 亮みやはら りょう)さんです。

1987年京都大学医学部を卒業、京都市立病院呼吸器外科部長をされています。

母親は、宮原 裕子みやはら やすこ)さんです。

父親と同じ京都市立病院血液内科副部長をされています。

宮原智子選手は、容姿メンタル的な強さ母親から、運動神経の良さ努力家で真面目な部分は父親からバランス良く受け継いでいるようです。

そして、両親年収は、医師の部長クラス年収1,500万円以上であり、両親はどちらも役職なので、おそらく3,000万円以上の年収があるのではないかと思われ、実家はお金持ちで問題ないと思います。

なお、祖母は、宮原淳子さんです。

宮原知子選手の両親医師のため、常に忙しく家を不在にすることが多いため日々の面倒を祖母が見ていたそうです。

祖母は、毎日の練習への付き添い毎日夜食用のお弁当を作り、学校まで迎えに行ったり宮原知子選手を献身的にサポートしていました。

上記のように、現在宮原知子選手の日本のエースと言われるまでの活躍の裏には、両親や祖母の支えがあったのだと思います。

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