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小幡真子選手は、JTマーヴェラスの主将を務める女子バレーボール選手であり、全日本女子バレー代表としても活躍していました。
しかし、出身高校大学と「中学時代はバレーが下手だった?」と噂されている真相について、調査してみました。
そんな小幡真子選手について、Wikiプロフィール・出身高校大学・中学時代はバレーボールが下手だった真相という流れで、詳しくご紹介していきます。
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小幡真子選手のWikiプロフィール
名前:小幡 真子(こばた まこ)
愛称:マコ
生年月日:1992年8月15日
年齢:32歳(2024年時点)
出身地:熊本県上天草市
血液型:B型
身長:164cm
体重:55kg
趣味:写真を撮ること・読書
特技:不明
靴のサイズ:24.5cm
最高到達点:284cm
ポジション:リベロ
元所属チーム:JTマーヴェラス参考元:Wikipedia
小幡真子選手は、久光製薬スプリングスに所属していた元バレーボール選手の母親の影響で小学生4年生からバレーボールを始めました。
目標とする選手は、同じリベロというポジションのブラジル男子代表のセルジオ・ドゥトラ・サントス選手です。
そんな目標とする選手にも負けないくらいにすでに、小幡真子選手は、試合中にダイビングキャッチをするなどスーパーリベロと言われています。
今後の全日本女子バレー代表・JTマーヴェラスの主将としての活躍を期待されていましたが、2022年5月31日にチームを退団して現役を引退しました。
そして、現役引退後は、JTのV1男子チームであるJTサンダーズ広島の運営担当に就任しています。
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小幡真子選手の出身高校大学はどこ?
小幡真子選手の出身高校は九州文化学園高校です。
中学を卒業する頃に注目される選手となり、いくつかの高校からオファーがありましたが「自分の直感で一番最初に声を掛けてくださった高校に行こう。」と決めていたので、九州文化学園高校に入学ました。
高校2年生になると、本格的にリベロとして、プレーするようになりました。
その結果、「春高バレー」•「インターハイ」で活躍、「インターハイ」では、3年連続でベストリベロ賞を獲得しています。
そして、高校卒業後は日本体育大学に進学しました。
その実力より、1年生からずっとレギュラーとして、試合に出場しました。
そして、4年生の時には主将と務め、「全日本インカレ」では、21年ぶりの優勝に貢献、MVPとベストリベロ賞を獲得しています。
その後、JTマーヴェラスに入団、全日本女子バレー代表にも登録され、数々の優勝、ベストリベロ賞の獲得などチームに貢献しました。
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小幡真子選手の中学時代はバレーボールが下手だった真相は?
😱日体大の守護神
スーパーリベロの小幡真子選手のほんの一部をご覧ください pic.twitter.com/Nw7rafNyPX— 神業世界のスーパープレイ (@worldsuperplay) 2018年9月29日
上記のように、すごいダイビングキャッチをみせるスーパーリベロと呼ばれ、全日本女子バレー代表にも選ばれているのに「中学時代は下手だった」という情報がいくつかありましたので、真相を調べてみました。
小幡真子選手は、高校時代・大学時代には、数々の優勝・ベストリベロ賞を獲得するなど、活躍をしていますが、中学時代に関しては、優勝歴や受賞歴などはありませんでした。
色々と調べた結果、小幡真子選手の出身地の環境がそのような噂の原因であると考えます。
小幡真子選手は、小学4年生からバレーボールを始めましたが、小学校は天草市の中でも優勝できるかできないかのレベルの学校でした。
そのため、たとえ1人の力が強大でもチームプレーのバレーボールでは、なかなか全国まで勝ち上がるのは至難の業ですよね。
そして、小幡真子選手は、上天草市の上天草市立矢野中学校に進学、バレーボール部へ入部しました。
3年間、毎日バレーボール漬けの日々を送り、2年生の時に県大会の準決勝まで進出しました。
3年生の時には、念願の県大会で優勝、九州大会へ進出、順調に勝ち進みましたが、あと1勝のところで涙を呑みました。
正直なところ、上天草市立矢野中学校のバレーボール部は、強豪校ではないので、県大会での優勝、九州大会での活躍自体が快挙と言っていいほどの結果だと思います。
その結果、いくつものバレー強豪校の高校からオファーがあったので、小幡真子選手の「中学時代はバレーが下手だった」ということ間違いであり「中学時代からバレーボールが上手だった」ということが真相だと思います。
そんな小幡真子選手の現役引退後の活躍も期待して応援していきたいと思います。
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