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ジャニー喜多川さんは、数々の男性アイドルを世に送り出したジャニーズ事務所の社長でしたが、2019年7月9日に病気で他界され、多くの芸能関係者やファンからお悔やみの言葉が寄せられました。
そして、生涯プロデューサーとして、数多くの伝説的なエピソードと記録や功績を残しており、メディアに出演しないことからも伝説的な人物とされています。
そんなジャニー喜多川さんについて、伝説エピソードまとめ・記録や功績も凄すぎる・Wikiプロフィールや生い立ちという流れで、詳しくご紹介していきます。
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ジャニー喜多川さんの伝説エピソードまとめ
ジャニー喜多川さんといえば、ジャニーズ事務所のタレントをYouと呼ぶことで有名です。
その理由としては、インタビューで下記のように語っています。
アメリカでは相手をYouと呼ぶのは普通の事。
タレントの名前を覚えられない時に便利。
引用元:All About
さらに、東山紀之さんは、インタビューで「名前を呼び間違えられるととてもショックを受けるから、ジャニーさんは誰に対しても『ユー』と呼びかける。」とも語っていました。
そして、ジャニー喜多川さんは、所属タレントたちを仲間だと思っており、敬語を使われるのを嫌い、所属タレントとフラットにつき合うことでも有名です。
そんなジャニー喜多川さんの主な名言や伝説的なエピソードは下記です。
「You、やっちゃいなよ。」
「YouがCANと思うならDOすればいいじゃない。」
「Youここで諦めたら終りだよ。」
「You、ビュー(デビューという意味)」
「Youと、Youとさぁ、お前。」
引用元:モデルプレス
「オーディション合格を伝える電話の第1声が『僕だけど、』だった。」
「自分から電話を掛けておいて『You、誰?』と尋ねてしまう。」
「KinkiKidsに関しては、『どっち?』と言う。」
「タッキーが留守電の自動音声を英語に設定していた時のジャニーさんの残した留守電が全て英語。」
引用元:モデルプレス
「挨拶にて、『僕が世界のジャニーだよ。』と言う。」
「作業服みたいなのを着たおじさんが、オーディションの部屋を掃除し、机や椅子を並べて、ジュースを配っており、それがジャニー喜多川さんだった。」
引用元:モデルプレス
「関ジャニ∞のコンサートが盛り上がらなかった時、『あそことあそこの曲を入れ替えてご覧なさい。』と言われ、入れ替えた直後のコンサートから盛り上がった。」
「サングラスをかけていたジャニーさんが『Youたち、照明が暗いから調整した方がいいよ。』と言う。」
引用元:モデルプレス
上記のように、メディアに出演しないジャニー喜多川さんですが、数々の名言や伝説的なエピソードがあります。
その理由としては、ジャニーズ事務所のタレントたちが、様々な番組内で、モノマネを交えて愛情あっぷりのエピソードを語るからであり、ジャニー喜多川さんとの深い絆を感じます。
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ジャニー喜多川さんの記録や功績も凄すぎる
ジャニー喜多川さんは、ミュージカル俳優のような歌唱してダンスもできるマルチタレントの育成、エンターテインメント事業を興行することを目指し、1962年にジャニーズ事務所を創業しました。
その背景には、少年野球チームのコーチを務めていた時に、生徒4名と鑑賞した映画「ウェストサイドストーリー」に感動したというきっかけがありました。
その後、フォーリーブスが楽器を持たないグループ・サウンズ(GS)として人気を得て、郷ひろみさん・たのきんトリオ・シブがき隊・少年隊などのアイドルを輩出しました。
さらに、光GENJIがアイドルグループとして大きな成功を収めた後、ライブだけでなくバラエティー番組でも活躍できるアイドルグループとして、SMAPがデビューしました。
そして、下記のように、歌手・俳優・MC・タレントなど幅広い分野でマルチに活躍する多くのアイドルを輩出しています。
「TOKIO」「V6」「Kinki Kids」「嵐」「タッキー&翼」「NEWS」「関ジャニ∞」「KAT-TUN」「Hey!Say!JUMP」「NYC」「Kis-My-Ft2」「Sexy Zone」「A.B.C-Z」「ジャニーズWEST」「King&Prince」
そんなジャニー喜多川さんは、プロデューサーとして、下記のような功績や記録を残しています。
2003年 第28回菊田一夫演劇賞 特別賞
【ギネス認定】
2011年 最も多くのコンサートをプロデュースした人物
2011年 最も多くのナンバーワン・シングルをプロデュースした人物
2012年 最も多くのチャート1位アーティストを生み出したプロデューサー
【記録】
シングル1位獲得アーティスト:47組
シングル1位獲得作品:439作品
累積総売上枚数:1億4,821万276枚
参考元:Wikipedia
また、ジャニー喜多川さんの先見の明に優れており、ジャニー喜多川さんが、直接声をかけたタレントは、みんなスターに成長していると言っても過言ではありません。
なお、社長自らがスカウトに動いたり、素人同然の少年を突然大きな仕事に抜擢したりすることもあります。
また、多くのファンから人気がある赤西仁さん・藤ヶ谷太輔さんは、一度オーディションで不合格となっていますが、ジャニー喜多川さんに合格を告げられています。
そして、ジャニー喜多川さんは、アイドル作りは人間作りをモットーにプロデュースをしてきましたが、インタビューで下記のように語っています。
僕等は「人間」を扱っている。どんな子でも輝きや良い所を持っている。
引用元:All About
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ジャニー喜多川さんのWikiプロフィールや生い立ち
名前:ジャニー 喜多川
英語名:ジョン・ヒロム・キタガワ
本名:喜多川 擴(きたがわ ひろむ)
愛称:ジャニーさん・社長
生年月日:1931年10月23日
享年:87歳
出生地:アメリカ・カリフォルニア州ロサンゼルス
出身地:東京都渋谷区
血液型:AB型
職業:実業家・芸能プロモーター・音楽プロデューサー
所属事務所:ジャニーズ事務所
【著名な家】
父親:喜多川 諦道
姉:メリー喜多川
姪:藤島ジュリー景子引用元:Wikipedia
ジャニー喜多川さんは、1931年にアメリカ・ロサンゼルスに生まれ、1933年に日本へ渡航し大阪市で生活しました。
その後、第二次世界大戦での日本敗戦後、子供たちだけロサンゼルスに帰国し、現地の高校に入学、高校卒業後、ロサンゼルス・シティー・カレッジに進学しました。
なお、高校時代に、ロサンゼルスのアーニー・パイル・シアターにて、ミュージックメイカーのアシスタントとして、アルバイトを経験しています。
そして、1952年に日本に再来日し、アメリカ軍関係の仕事をしながら、大学に通い「上智大学国際部」を卒業、バンドを結成、日本に永住しています。
なお、1950年に美空ひばりさんのロサンゼルス公演にて、ステージマネージメント全体を担当し、親しい間柄になったことで、日本芸能界への進出のきっかけにもなっています。
上記のような生い立ちや高校時代からエンターテインメントに触れていたことがジャニーズ事務所を創業するきっかけになっているのだと思います。
そんなジャニー喜多川さんは、2019年7月9日に、病気で他界されましたが、お悔やみを申し上げると共に、伝説的なエピソードと記録や功績が語り継がれていくことを願います。
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