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渡邊雄太選手は、2004年の田臥勇太選手選手以来となるNBA公式戦初出場を果たし、日本人2人目のNBA選手として注目されています。
なお、家族はバスケ一家であり、父親と姉も元プロバスケットボール選手、母親は元日本代表のバスケットボール選手だったようです。
そんな渡邊雄太選手について、父親は元バスケットボール選手・姉は元バスケットボール選手・母親は元女子日本代表という流れで、詳しくご紹介していきます。
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渡邊雄太選手の父親は元バスケットボール選手?
渡邊雄太選手の父親の名前は、渡邊英幸さんです。
2024年時点で66歳なので、1958年9月28日生まれです。
日本はもう29ですが、今日9月28日は父親の誕生日! 小さい時からほんとに優しくそして厳しく自分を育ててくれて今の自分がいます! 父親として、また一人の人間としてとても尊敬する人物です!
そんな自分にできる父への最大の恩返しはバスケ一生懸命頑張ること!誕生日おめでとう^ ^
— Yuta Watanabe 渡邊 雄太 (@wacchi1013) 2015年9月29日
今日は親と高知県にきてうまい刺身とかいっぱい食って最高でした!小さい頃は自分のコーチとして育ててくれて、今はアメリカでいてもいつも海の向こうで応援してくれて、ほんと最高の親です!これからもよろしくお願いします。 pic.twitter.com/N9pkHmKIYt
— Yuta Watanabe 渡邊 雄太 (@wacchi1013) 2015年5月22日
上記の写真では分かりませんが、父親の身長は190cmです。
そんな身長が高い父親は、バスケットボール日本リーグに所属していた社会人バスケットボールチーム「熊谷ブルーインズ」の元プロバスケットボール選手でした。
このチームは、東京都にある大手ゼネコン会社である熊谷組の実業団チームでした。
1952年に創部、1968年に行われた「第1回全日本実業団競技大会」で優勝、翌年には日本リーグに昇格しました。
このチームの獲得タイトルは下記です。
- 日本リーグ:優勝2回(1990・92年)
- オールジャパン:優勝1回(1992年)
参考元:Wikipedia
上記のように、強いバスケットチームでしたが、1994年に休部してしまいました。
渡邊雄太選手の2mを超える身長は、間違いなく父親譲りだと思います。
そして、父親が元バスケットボール選手だったというのは、大きな励みになっていたのではないかと思います。
渡邊雄太選手と父親のエピソードまとめ
渡邊雄太選手は、小学1年生から競技としてバスケットボールを始めています。
そして、小学2・3年生の頃にテレビで見た本場のプレーに憧れて「NBA選手になりたい。」と両親に将来の夢を語ったそうです。
そして、翌日から父親との特訓が始まり、毎日ドリブルシュートやシュートの基礎練習を繰り返し、父親相手に1対1を挑み続けたそうです。
父親曰く、小学生から今まで練習を休んだことはなく、将来の夢のために日々努力を欠かさなかったそうです。
さらに、実家近くの空き地にあったゴールリングでは、最高1000本のシュートを入れるまでフリースローの練習をしており、最高で4時間もかかったことがあったそうです。
父親は、そのような厳しい練習をしていたことを下記のように語っています。
「とにかくフリースローは落とさないように。90%入れて当たり前だぞ。」と何度も言いました。「渡邊にフリースロー打たれたら2点取られる。」と思われる選手になって欲しいという思いからでした。
引用元:日刊スポーツ
そして、NBA選手としての初得点はフリースローでした。
父親は、NBA選手としての初得点がフリースローだったことに、以下のように語っていました。
派手じゃなく、地味に2本のフリースローを決めたのが雄太らしい。小さい時から勝負を分けるのは、フリースローだと言ってきた。
現在の渡邊雄太選手の活躍の影には、幼少期からの父親との練習や父親から言われた言葉が大きな原動力となっているのだと感じました。
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渡邊雄太選手の姉は元バスケットボール選手?
渡邊雄太選手の姉は、渡邊夕貴さんです。
2024年時点で31歳なので、1993年1月8日生まれです。
上記の写真では分かりませんが、姉の身長は170cmです。
弟の渡邊雄太選手や父親と比べると小さいですが、一般的な女性と比べると高い方だと思います。
そんな姉は、アイシン・エィ・ダブリュ・ウィングス所属の元プロバスケットボール選手でした。
このチームは、バスケットボール女子日本リーグ(Wリーグ)所属の女子バスケットボールチームであり、姉のポジションはガードフォワードでした。
2011年11月6日にデンソー戦で公式戦初出場、2013-14シーズン終了をもって現役を引退しています。
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渡邊雄太選手の姉の出身高校はどこ?
姉は小学生の時にミニバスを始め、出身中学は丸亀私立山中中学校でした。
中学時代の2006年に都道府県対抗ジュニアバスケットボール大会の香川県選抜チームの一員としてベスト8に輝いています。
そして、出身高校である桜花学園高等学校に進学しました。
この高校は、愛知県名古屋市昭和区にある私立女子高等学校です。
なお、女子バスケットボールの全国大会出場の強豪校として知られており、以下のような成績を残しています。
- インターハイ:2012年から5連覇を含む優勝23回
- ウィンターカップ:1996年から6連覇を含む優勝21回
- 国体:優勝20回
参考元:Wikipedia
上記より、姉も中学高校時代に素晴らしい成績を残していることが分かります。
弟の渡邊雄太選手にとって性別は違いますが、同じ家族として負けらない相手ということで大きな励みになっていたのかもしれません。
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渡邊雄太選手の母親は元女子日本代表バスケットボール選手?
渡邊雄太選手の母親は、渡邊久美さんです。
結婚される前の旧姓は久保田久美さんであり、和歌山県出身でした。
2024年時点で63歳なので、1961年10月30日生まれです。
上記の写真では分かりませんが、母親の身長は177cmです。
息子の渡邊雄太選手や父親と比べると小さいですが、一般的な女性と比べると高い方だと思います。
そして、母親はシャンソン化粧品所属の元プロバスケットボール選手でした。
なお、シャンソン化粧品は、1962年に創部したバスケットボール女子日本リーグの中でも強豪チームであり、下記のように全国タイトルを31回も獲得しています。
- 日本リーグ・Wリーグ:優勝16回
- 全日本総合バスケットボール選手権:優勝10回
- 全日本実業団バスケットボール競技選手権:優勝4回
- 国体:優勝1回
参考元:Wikipedia
上記のような強豪チームに所属していましたが、1985-86シーズンに日本リーグMVPを獲得しています。
さらに、全日本(バスケットボール女子日本代表)にも選ばれ、1983年の世界選手権に出場した経験もあるそうです。
上記のように、母親は強豪シャンソン化粧品に所属しており、MVP獲得や元全日本代表という女子プロバスケットボール選手の中でもトップレベルの実力を持っていたことが分かります。
さらに、渡邊雄太選手がバスケを始めたきっかけは、母親がコーチを務める三木スポーツ少年団に所属したことでした。
バスケットボールをしていた母親・父親・姉の影響を受け、渡邊雄太選手は、小学2年生から朝5時半から学校の校庭で練習をしていたそうです。
渡邊雄太選手も母親と同じく日本代表選手?
渡邊雄太選手の母親は、女子日本代表のバスケットボール選手でしたが、息子もまた男子日本代表バスケットボール選手です。
渡邊雄太選手は、高校1年生の2011年2月にU-18日本代表候補に選出されました。
そして、高校2年生の2011年4月に高校生で初めてバスケットボール男子日本代表候補に選出されました。
その後、2011年8月のウィリアム・ジョーンズカップで日本代表として初出場を果たしています。
高校3年生の2012年もバスケットボール男子日本代表候補に選出され、台湾のとの親善試合でベンチ入りしています。
2012年8月にはU-18日本代表の主将として、FIBAアジアU-18選手権に出場し4位となりました。
高校卒業後は、アメリカ留学のため、日本代表としての参加は控えていましたが、2016年のリオデジャネイロオリンピック世界最終予選の日本代表に選出されました。
上記のように、渡邊雄太選手は高校生の時から日本代表であり、今後の男子バスケットボール日本代表にとって、要となる貴重な選手であると思います。
ちなみに、インスタグラム(yutawatanabe12)は、約58.0万人以上のフォロワー数を誇る人気があるので、チェックしてみてはいかがでしょうか?
そんな日本人2人目のNBA選手として注目されている渡邊雄太選手の今後の活躍を楽しみに、引き続き応援していきます。
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