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八村塁選手は、2019年のNBAドラフト1巡目でワシントン・ウィザーズに指名され、渡邊雄太選手に続き3人目の日本人NBAプレイヤーになりました。
また、弟と妹もバスケットボールをしており、兄と同じく将来を期待されている選手です。
そんな八村塁選手について、弟と姉もバスケットボール選手【顔画像】・学歴まとめ・凄い経歴まとめという流れで、詳しくご紹介していきます。
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八村塁選手の弟と妹もバスケットボール選手【顔画像】
八村塁選手の家族構成は、ベナン人の父親・日本人の母親・4人の兄弟の6人家族です。
なお、4人の子供たちはハーフであり、八村塁選手は4人兄弟の長男です。
しかし、父親や母親に関する情報がほとんどないので、両親がアスリートだったかは不明です。
【八村塁選手の弟】
八村塁選手の弟は、八村阿蓮(はちむらあれん)さんといい、1999年12月20日生まれの25歳で身長は198cmです。
出身中学は世田谷区立梅丘中学校、出身高校は明成高等学校であり、バスケットボール部に所属していますが、どちらの学校もバスケットボールの強豪校です。
また、弟は、明成高等学校を2年ぶり5度目のウィンターカップ制覇に導いたエースでした。
高校卒業後は、東海大学体育学部競技スポーツ学科に進学し、バスケットボールを続けています。
【八村塁選手の妹】
八村塁選手の妹は、八村安美菜(はちむらあみな)さんといい、身長は174cmであり、小学生の頃は陸上をしていたようです。
出身中学は世田谷区立梅丘中学校、出身高校は明成高等学校であり、バスケットボール部に所属していますが、どちらの学校もバスケットボールの強豪校です。
下記は、弟が兄のゴンザガ大学で奮闘する姿を観に高校3年生の時にアメリカへ行った時の写真です。
なお、大学での目標について、この時のインタビューで下記のように語っています。
大学でも日本一になることと、将来はプロの選手になって活躍したいです。それから、将来は日本代表で塁と一緒にプレーがしたい。
引用元:Basket Count
上記より、4人兄弟のうち3人がバスケットボールをしていることが分かりました。
そして、兄と弟は将来的に日本代表のチームメイトとして、一緒にプレーする可能性が十分にあると思うので、今後の活躍を楽しみにしたいと思います。
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八村塁選手の学歴まとめ
八村塁選手は、幼少期は陸上の短距離と野球をやっていましたが、中学時代からバスケットボール部に入りました。
そして、富山市立奥田中学校時代には、全国中学校バスケットボール大会で準優勝を果たし、大会ベスト5にも選ばれました。
そんな八村塁選手の学歴について、Wikiプロフィール・出身高校・出身大学という流れで、ご紹介していきます。
八村塁選手のWikiプロフィール
名前:八村 塁(はちむら るい)
愛称:るい・はっち
生年月日:1998年2月8日
年齢:26歳(2024年時点)
出身地:富山県
血液型:A型
身長:203cm
体重:104kg
足サイズ:34cm
趣味:卓球・ゲーム・釣り
特技:短距離・野球
ポジション:SF/PF
所属チーム:ワシントン・ウィザーズ→ロサンゼルス・レイカーズ参考元:Wikipedia
八村塁選手は、中学からバスケットボールを始めており、初心者だったため、上級生はおろか同級生にも歯が立たなかったそうです。
そして、何もできないことが悔しくて、休憩時間や練習後にチームメイトに教えてもらっていました。
また、バスケットボールへの情熱も熱く、ほぼ毎日、放課後や夜に練習に取り組み、チームの中心へ成長を遂げ、全国中学校大会で準優勝を果たしました。
なお、バスケ部のコーチだった坂本譲治さんは、アメリカの試合を伝える雑誌や映像を見せ「頑張れば、将来NBAに行けるぞ。」と繰り返し語りかけたそうです。
上記のように、八村塁選手のバスケへの情熱や日々の努力はもちろんですが、坂本譲治コーチやチームメイトの存在が急成長の大きな要因になっていたのだと思います。
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八村塁選手の出身高校はどこ?
八村塁選手の出身高校は、明成高等学校です。
この高校は、1879年創立の宮城県仙台市青葉区川平二丁目にある男女共学の私立高校学校です。
なお、弟と妹も同じ高校出身で同じバスケットボール部に所属していました。
また、男子バスケットボール部は2005年に創部されていますが、全国区レベルの強豪校であり、女子バスケットボール部も強豪校になりつつあります。
下記は、男子バスケットボール部の主な経歴です。
- ウィンターカップ:優勝5回
- インターハイ:優勝1回・準優勝3回
参考元:Wikipedia
さらに、卒業生には下記のような主なプロバスケットボール選手がいます。
安藤誓哉選手(秋田ノーザンハピネッツ)・佐藤文哉選手(群馬クレインサンダーズ)・畠山俊樹選手(新潟アルビレックスBB)
参考元:Wikipedia
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八村塁選手の出身大学はどこ?
八村塁選手の出身大学は、ゴンザガ大学です。
この大学は、 1887年創立のワシントン州スポケーンにあるアメリカ合衆国の私立大学です。
そして、NCAA1部の所属でNBA選手を多数輩出しているバスケットボールの名門校です。
八村塁選手は、3月の高校卒業後も大学進学適正試験(SAT)をクリアするため、毎日7時間〜8時間の勉強をしていました。
なお、熱心にゴンザガ大学へ八村塁選手を勧誘したのは、アシスタントコーチのトミー・ロイドさんでした。
しかし、八村塁選手の個人練習でスキルトレーニングを担当しているイタリア人コーチのリカルド・フォイスさんが、高校2年生の時にU-17世界選手権で対戦したイタリアとの試合を見て、関心を持ったことが、最終的なゴンザガ大学への勧誘に繋がったそうです。
そして、大学時代の八村塁選手の1日のスケジュールは、毎朝8時からウエイトトレーニングを1時間位した後、午後3時まで授業をしていました。
その後、だいたい2時間くらいチーム練習、夕食後に個別で勉強をし、コーチやマネージャーと一緒に個人練習をやっていました。
上記のように、大学生活はバスケットボールと勉強漬けの日々であったことが分かります。
また、八村塁選手の日々の努力はもちろんですが、下記の2人の存在も現在の活躍の原動力になっていると思います。
彼は大学院にいて、ゴンザガ大学のマネージャーをしている日本人であり、バスケットに集中できる環境をサポートしているそうです。なお、常日頃から、attitude(心構え)・effort(努力)という言葉を伝えており、マインド的な部分でアドバイスをしています。
高校時代のトレーニングを担当していたアスレティックトレーナーです。
なお、高橋陽介さんは、高校時代のトレーニングについて、あるインタビューで下記のように語っています。
高校では、身体をバランス良く使ってプレーできるように、筋力トレーニングはもちろんのこと、ジャンプ力、持久力、背面を鍛えるトレーニングをハードにしてきました。
アメリカの大学で通用するための基礎作りを高校3年間でやったので、筋力がつきやすい20歳くらいに差し掛かるとともに、その成果は出てくると思います。
引用元:Basket Count
上記の2人の存在はもちろんですが、八村塁選手は、あるインタビューで中学時代と高校時代の恩師の存在も大きいと語っていました。
八村塁選手の才能を信じ、今後の活躍を期待する多くの人の存在が「NBA選手になる。」という夢の原動力になっているのだと思います。
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八村塁選手の凄い経歴まとめ
下記は、現在までの主な経歴の一覧です。
- 「全国中学校バスケットボール大会」準優勝
- 1年生「ウィンターカップ」優勝
- 1年生「ウィンターカップ」ベスト4
- 2年生「ウィンターカップ」優勝
- 2年生「インターハイ」準優勝
- 3年生「ウィンターカップ」優勝
- 3年生「インターハイ」優勝
- 2016-17シーズン「WCCトーナメント」優勝
- 2016-17シーズン「NCAAトーナメント」準優勝
- 2017-18シーズン「NCAAトーナメント」スウィート16
- 「日本U-17」(2013年)
- 「日本U-17」(2014年)
- 「日本U-17」(2017年)
- 「日本」(2015年~)
八村塁選手は、高校時代にウィンターカップで3連覇、2年連続でベスト5にも選ばれています。
大学時代にも日本人として、初めてNCAAトーナメントに出場を果たし、準優勝に大きく貢献しています。
そして、日本代表としてもバスケットボールアジアU-16選手権にて、チームの大黒柱として活躍、1998年の田臥勇太選手たちの世代以来、15年ぶりの世界選手権への出場を果たしています。
また、U-17世界選手権では、アメリカ代表と対戦し122対38で大敗しましたが、チーム得点の38点のうち25点を挙げ、大会得点王(平均22.6点)を獲得しました。
さらに、2015年にはバスケットボール男子日本代表候補に高校生選手としては唯一選ばれています。
なお、長谷川健志監督からは「高校生離れしている。」、田臥勇太選手からは「才能がある。羨ましい。」と言われており、今後の日本代表での活躍が期待されています。
ちなみに、インスタグラム(rui_8mura)は、約88.3万人以上のフォロワー数を誇る人気があるので、チェックしてみてはいかがでしょうか?
そんな3人目の日本人NBAプレイヤーとなった八村塁選手の今後の活躍を楽しみに、引き続き応援していきます。
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