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狩野舞子さんは、全日本女子代表のウィングスパイカーとして活躍した元プロ女子バレーボール選手です。
なお、学生時代からオリンピック代表候補に選ばれるほどの活躍をしていますが、容姿端麗の美少女エースとしても多くのバレーボールファンから可愛いと反響がありました。
そんな狩野舞子さんについて、若い頃が可愛い【画像】・昔の学生時代から現在までの時系列まとめ【画像】・Wikiプロフィールまとめという流れで、詳しくご紹介していきます。
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狩野舞子さんの若い頃が可愛い【画像】
【若い頃の狩野舞子さん】【現在の狩野舞子さん】
上記の画像より、若い頃も現在も素敵な笑顔が特徴的な女性であり、バレーボールファン以外からも可愛いと言われる理由が分かります。
また、185cmという高身長であり、モデルような抜群のスタイルと美貌の持ち主でなので、可愛いと言われる理由がが分かります。
なお、約19.7万人以上のフォロワー数を誇るインスタグラム(kanochan715)には、プライベートや練習のオフショットなどの投稿があるので、チェックしてみてはいかがでしょうか?
また、狩野舞子さんは、女優の水野美紀さん・戸田恵梨香さん・志田未来さん・AKB48の柏木由紀さんなどに似ていると言われており、美人・可愛いということは間違いないと思います。
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狩野舞子さんの昔の学生時代から現在までの時系列まとめ【画像】
狩野舞子さんは、バレーボール一家で育ったということもあり、小学4年生からバレーボールを始め、出身地の三鷹市の「大沢スポーツクラブ」でバレーボールを始めました。
なお、幼稚園の頃から周りの園児よりも頭一つ大きく、小学6年生の時から身長が174cmもあったそうです。
下記は、そんな狩野舞子さんの出身中学高校などの学歴の一覧です。
三鷹市立第四小学校(大沢スポーツクラブ)
八王子実践中学校
八王子実践高等高校
さらに、2018年の現役引退までは下記のように女子プロバレーボール選手として活躍していました。
久光製薬スプリングス(2007-10年)
パビア(2010-11年)
ベシクタシュ(2011-12年)
久光製薬スプリングス(2012-15年)
PFUブルーキャッツ(2016-18年)
そんな狩野舞子さんの学生時代から現在までの画像を時系列で、中学時代・高校時代・久光製薬スプリングス時代・海外移籍時代・久光製薬スプリングス復帰時代・PFUブルーキャッツ・現役引退後という流れで、ご紹介していきます。
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狩野舞子さんの中学時代【2001〜04年】
狩野舞子さんの出身中学校の八王子実践中学校は、1926年創立の東京都八王子市台町一丁目にある男女共学の私立中学校です。
この学校のバレーボール部は、高校と同じく強豪校として有名であり、直近では下記のような成績を残しています。
- 2020年「全国中学校バレーボール選手権大会」準優勝
- 2021年「東京都バレーボール大会」優勝
- 2022年「東京都中学校バレーボール選手権大会」優勝
- 2022年「関東中学校バレーボール大会」準優勝
なお、卒業生には、全日本女子代表として活躍した下記の選手の他にも15名以上の選手を輩出しています。
大林素子さん・高橋有紀子さん・多治見麻子さん・狩野美雪さん・東谷玲衣奈さん
参考元:Wikipedia
そんな強豪校の中で狩野舞子さんは、「全国都道府県対抗中学バレーボール大会」の東京都代表に選ばれたり、中学3年生でアテネオリンピック全日本代表候補18人の中の1人に選ばれています。
なお、中学生がオリンピック代表候補に選ばれたのは、中田久美選手以来の24年ぶりの快挙でした。
しかし、成長期が始まった中学時代から、骨の成長に背中の筋肉の発達が追いつかないことが原因である腰痛に苦しむことになり、アテネオリンピック全日本代表に選ばれることはできませんでした。
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狩野舞子さんの高校時代【2004〜07年】
狩野舞子さんの出身高校は八王子実践高等学校は、1926年創立の東京都八王子市台町一丁目にある男女共学の私立高等学校であり、中高一貫校なので中学校からそのまま進学しています。
なお、女子バレーボール部は、史上初の3冠を達成、春高バレーの強豪校として有名であり、下記の成績を残しています。
全国優勝:12回
全国大会出場回数:80回以上
関東大会:62年連続62回出場(優勝19回)
さらに、男女バレーボール部の総タイトル獲得数は、16回(春高バレー5回・国体6回・インターハイ5回)です。
高校時代も1年生エースとして「春高バレー」などで活躍し、2年生からはキャプテンとして常に腰痛と戦いながらチームを引っ張っていました。
なお、中学時代にオリンピック全日本代表候補になったということで知名度があり、試合が終われば多くのカメラや記者に囲まれていました。
そのため、2006年の春高バレーでも狩野舞子さんは大会ナンバーワンの注目選手であり、出場前にもかかわらず、春高バレーのポスターに起用されました。
しかし、狩野舞子さんは、準々決勝で優勝した東九州龍に敗退して、春高バレーへの出場は果たせませんでした。
学生時代から「美少女エース」として過度の期待をかけられ、多くのカメラや記者に囲まれたりで余計なプレッシャーを抱えていたのではないか?と思います。
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狩野舞子さんの久光製薬スプリングス時代【2007〜10年】
狩野舞子さんは、高校卒業後の2007年に姉の狩野美雪さんが所属する「久光製薬スプリングス」に雨堤みなみ選手と一緒に入団を果たしました。
そして、2007-08プレミアリーグにて、開幕戦スタメンデビューを果たしています。
しかし、2008年2月23日に試合中に右アキレス腱断裂のケガを負ってしまい、2008年度の全日本代表候補入りはできませんでした。
その後、2009年の「黒鷲旗全日本選抜バレーボール大会」で敢闘賞・ベスト6を受賞、2009年4月に全日本女子代表メンバーに登録されています。
そして、2010年1月20日に左アキレス腱断裂のケガをしてしまい、怪我の治療に専念するために、2010年7月に久光製薬スプリングスを退団しました。
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狩野舞子さんの海外移籍時代【2010〜12年】
狩野舞子さんは、怪我の休養中の2010年8月30日にスポーツビズとマネジメント契約を結んでいます。
そして、2010年9月に全日本女子代表に追加選出されました。
その後の2010年11月11日にイタリア1部リーグ・セリエA1の「パヴィーア」に入団して、開幕戦でセリエA1デビューを果たしています。
さらに、2011年6月の「モントルーバレーマスターズ」で2年ぶりに全日本女子代表に復帰を果たし、初優勝に貢献しました。
その後の2011年10月にトルコリーグの「ベシクタシュ」に移籍、2012年6月の契約満了までプレーしています。
ちなみに、全日本女子代表メンバーの1人として、2012年6月の「ロンドンオリンピック」に出場して28年ぶりの銅メダルを獲得しました。
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狩野舞子さんの久光製薬スプリングス復帰時代【2012〜15年】
狩野舞子さんは、2012年9月15日に2年ぶりとなる久光製薬スプリングスへの復帰を果たしています。
また、ウィングスパイカーからセッターへのポジション転向が発表されました。
ちなみに、ポジション転向のきっかけは、久光製薬スプリングスのコーチや監督も務めた中田久美さんであり、2011年のワールドカップの頃に狩野舞子さんに打診していたそうです。
なお、久光製薬スプリングスに復帰して退団するまで下記のような成績を残しています。
- 2013年「V・プレミアリーグ女子」優勝
- 2013年「日韓Vリーグ・トップマッチ」優勝
- 2013年「黒鷲旗全日本男女選抜バレーボール大会」優勝
- 2014年「V・プレミアリーグ女子」優勝
- 2014年「AVCアジアクラブ選手権」優勝
- 2014年「国民体育大会」準優勝
- 2014年「天皇杯・皇后杯 全日本バレーボール選手権大会」優勝
- 2015年「V・プレミアリーグ女子」準優勝
そして、2015年6月30日に久光製薬スプリングスを退団し、現役引退を発表しました。
狩野舞子さんのPFUブルーキャッツ時代【2016〜18年】
狩野舞子さんは、引退後の1年間はバレーボールから離れ休養をしていました。
なお、2016年1月に「春高バレー」のフジテレビの中継で解説を担当して話題となりました。
その後の2016年7月にV・プレミアリーグに昇格したばかりのPFUブルーキャッツに入団して現役復帰を果たしています。
チームではスパイカーを務め、2018年の「V・チャレンジリーグ女子」で準優勝を果たしています。
そして、2018年4月23日にPFUブルーキャッツを退団して現役引退をすることを発表しました。
ちなみに、2018年5月2日の「黒鷲旗全日本男女選抜バレーボール大会」での金蘭会戦が現役最後の試合となりました。
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狩野舞子さんの現役引退後【2018〜23年】
狩野舞子さんは、現役引退後も「Vリーグ」や「春の高校バレー」で解説者を務めたり、TBSの「東京VICTORY」やフジテレビの「ジャンクSPORTS」などの多くのメディアにも出演を果たしています。
さらに、「ミズノ」とアドバイザリー契約を結んだり、誰もが認める美貌から「Champion」・「TOWA CORPORATION」・「VOCE」などの広告塔としても活躍を続けています。
また、YouTubeチャンネルの「マイコチャンネル ★狩野舞子official」は約9万人の登録者がおり、インスタグラムの投稿がニュースになるなど現役時代から変わらない人気を誇っています。
なお、プライベートでは、アスリートフードマイスター3級の資格を取得したり、真偽は不明ですが、多くの匂わせ疑惑からメジャーリーガーの大谷翔平選手との熱愛を噂されるなど、色々な面で常に注目を集めています。
大谷翔平選手は、高身長で甘いマスクのイケメンメジャーリーガーであり、美女たちとの熱愛の噂もたくさんあるので、歴代彼女は10人【画像】・昔と現在の恋愛遍歴まとめという流れで、ご紹介しています。
狩野舞子さんのWikiプロフィールまとめ
名前:狩野 舞子(かのう まいこ)
愛称:マイコ
生年月日:1988年7月15日
年齢:36歳(2024年時点)
出身地:東京都三鷹市
血液型:A型
身長:185cm
体重:68kg
趣味:ゴルフ
特技:ゴルフ
足のサイズ:26.5cm
最高到達点:305cm
ポジション:ウィングスパイカー
元所属チーム:久光製薬スプリングス→パビア→ベシクタシュ→久光製薬スプリングス→PFUブルーキャッツ
マネジメント:スポーツビズ
狩野舞子さんの家族構成は、父親・母親・2人の姉の5人家族で3人姉妹の末っ子であり、下記のようなバレーボール一家で育ちました。
父親:実業団で活躍したバレーボールの名選手
母親:八王子実践高校〜東京女子体育大学で活躍した選手
狩野美雪さん:元久光製薬スプリングス所属で全日本代表選手
姉の狩野美雪さんは、移籍1年目から久光製薬スプリングスでレギュラーを獲得し、5年ぶりのリーグ優勝に貢献して2007年度より主将を務めています。
さらに、2008年に全日本女子代表に初選出され、「北京オリンピック」に出場を果たす活躍をしていました。
なお、妹の狩野舞子さんは、2007年に久光製薬スプリングスに入団しているので、姉の狩野美雪さんと同じチームメイトとしてプレーしていました。
姉の狩野美雪さんは、2010年7月に久光製薬スプリングスを退団、2011年からデフレバレーボール女子日本代表の監督になりました。
そして、2013年の「デフリンピック」で銀メダル、2017年の「デフリンピック」で金メダルにチームを導いています。
妹の狩野舞子さんは、世界最高峰と言われる2大海外リーグへ挑戦を果たしたり、全日本女子代表のメンバーの1人として「ロンドンオリンピック」で28年ぶりの銅メダルを獲得しました。
ちなみに、日本女子代表としても下記のような主な経歴と受賞歴を誇っています。
【全日本女子代表】:2009~12年
2011年「ワールドグランプリ」
2012年「ロンドンオリンピック」銅メダル
【受賞歴】
2009年「黒鷲旗全日本選抜バレーボール大会」敢闘賞・ベスト6
2012年 オリンピック特別賞
2012年 都民スポーツ賞
2012年 上月スポーツ賞
その後は、引退や現役復帰を経て、2018年4月にPFUブルーキャッツを退団して現役引退、解説者やタレントのような感じで様々な活動をしています。
そんな狩野舞子さんの今後のスポーツ解説者などのマルチな活躍が楽しみだと思います。
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