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大谷翔平選手は、2018年からメジャーリーグのロサンゼルス・エンゼルスに移籍しています。
日本人選手として、史上4人目の最優秀新人選手賞(新人王)や史上2人目のアメリカン・リーグ最優秀選手(MVP)を獲得する活躍をしました。
なお、日本人離れした体格で最速165キロの豪速球と抜群の打撃センスが持ち味ですが、アスリート家系で育ち、特に父親の影響を受けているようです。
そんな大谷翔平選手の家族について、父親の職業は監督・母親と兄や姉のWikiプロフィール・大谷翔平選手と家族のエピソードまとめという流れで、詳しくご紹介していきます。
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大谷翔平選手の父親の職業は監督?
大谷翔平選手の父親は、大谷徹さんといい、1962年生まれの62歳です。
大谷翔平選手の身長は193cmですが、父親も182cmで平均身長よりも高いことが分かります。
父親は、岩手県黒沢尻工業高等学校の野球部で外野手として活躍していました。
その後、三菱工業の横浜製作所に創設された硬式野球部に所属、社会人野球の選手として活躍していましたが、25歳で肩の負傷が原因で引退しています。
引退後は、三菱重工で出会った加代子さんと結婚、故郷の岩手に戻り、自動車のボディーメーカーに転職しました。
その職場では、昼夜2交代制で自動車の部品を組み立てる仕事をしていました。
なお、兄が少年時代には、仕事が忙しく協力してあげられなかったことに自責の念を抱いており「兄にやってあげられなかったことを、翔平にはやらなきゃいけない。」と決意しています。
そして、少年野球チームのコーチを引き受けたり、熱心に野球の指導をされていました。
そんな父親は、2016年末に金ヶ崎リトルシニアでの監督業に専念するため、会社を退社しています。
この金ヶ崎リトルシニアというチームは「ジュニアに目標とされる選手になりたい。」という大谷翔平選手の言葉を受け、父親が有志と共に作りました。
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大谷翔平選手の母親のWikiプロフィール
大谷翔平選手の母親は、大谷加代子さんといい、1963年生まれの61歳です。
身長は170cmであり、大谷翔平選手の高身長は、父親と母親のDNA譲りであることは間違いないと思われます。
なお、母親は、学生時代にバドミントン選手であり、中学3年生の時には、神奈川県の代表メンバーに選出、全国大会の団体女子の部で準優勝を果たすほどのアスリートでした。
また、大谷翔平選手が生まれた後、家計を支えるため、水沢市内の飲食店でパートをしながら、スポーツをしている3人の子供たちを育て上げました。
現在は主婦業をやりつつ、父親の監督業をサポートしているようです。
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大谷翔平選手の兄のWikiプロフィール
大谷翔平選手の6歳上の兄は大谷龍太さんといい、1988年生まれの36歳です。
そして、身長は187cmもあり、2013年12月に結婚されています。
なお、大谷翔平選手と同じく子どもの頃から野球をしていました。
ちなみに、兄はNPB入りはしていませんが、独立リーグの高知ファイティングドッグスに所属しており、現在はトヨタ自動車東日本でコーチ兼任選手として活動しています。
大谷翔平選手の姉のWikiプロフィール
大谷翔平選手の2歳上の姉は大谷結香さんといい、といい、1992年生まれの32歳です。
そして、身長は167cmであり、女子の平均身長よりも高いです。
ちなみに、姉は学生時代にバレーボールをしていましたが、現在は看護師をしており、2020年1月に結婚されています。
上記のように、大谷家はみんな高身長であり、アスリート家系であることが分かります。
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大谷翔平選手と家族のエピソードまとめ
大谷翔平選手の家族は、みんな高身長でスポーツが得意なアスリート家系であることが分かりました。
さらに、3人兄弟の末っ子ということで、兄や姉から可愛がられて育ち、MLBでもチームメイトから可愛がられているイメージがあります。
そんな大谷翔平選手と家族のエピソードについて、4つのそれぞれのエピソードをご紹介していきます。
大谷翔平選手と家族のエピソード①【教育方針】
両親の子供たちへの教育方針で気をつけていたことは、自分で決めることであり、両親から子供たちに「あれしなさい。これしなさい。」と言ったことはありませんでした。
その理由として、「自分で決めれば、そこに責任が芽生えるから」だそうです。
そして、そんな両親の教育方針もあって、大谷翔平選手は、野球を始める時も「野球をやりたい、だから教えて欲しい。」と自分から父親にお願いしました。
また、基本的に自宅へ野球を持ち込まず、グラウンドでの練習を色濃くして、家に帰ったら自主練習というスタイルで、家での熱血指導はしませんでした。
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大谷翔平選手と家族のエピソード②【寝る子は育つ】
大谷翔平選手は、生まれた時は3,400グラムもありました。
なお、幼稚園から帰って来ると友達と遊びに出かけ、夕方に帰って来ると、夕飯を食べる元気もなく、翌朝まで12時間以上寝ていることが週の半分以上ありました。
中学入学時には、すでに166cmもありましたが、高校に入るまでは細くて、好き嫌いはなかったものの、食べる量は少なく、食べることにあまり関心がなかったそうです。
しかし、MLBに移籍してからは、ダルビッシュ流の食トレをしたり、栄養管理の徹底や自炊をしたり、楽しみながら、野球のための努力をしているそうです。
大谷翔平選手と家族のエピソード③【ファッションセンスの秘密】
大谷翔平選手は、高身長でスタイリッシュなスタイルであり、多くのファンからイケメンと反響があります。
しかし「プロに入ってからも最初は服装や髪型にしても気にしている様子がなかった。」と母親が語っているほど、ファッションには興味がないようです。
なお、高校時代には、野球ばかりで私服を着る機会がなかったため、年末年始に帰省した際には「服がない。」と兄のジーパンや母親のポロシャツを借りるなど、こだわりはなかったそうです。
そして、現在のスタイリッシュな服装をコーディネートしているのは姉であり、大谷翔平選手から「こういう場がある。」と言われると、姉がコーディネートをしています。
ちなみに、インスタグラム(shoheiohtani)は、約778.4万人以上のフォロワー数を誇る人気があるので、服装などをチェックしてみてはいかがでしょうか?
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大谷翔平選手と家族のエピソード④【父親との交換日記】
大谷翔平選手が野球を始めてから小学5年生くらいまで、野球ノートと表紙に書き込まれたノートに、父親がその日の評価やアドバイス、大谷翔平選手が試合での反省や今後の課題を書いていました。
なお、父親は野球ノートの意味について、インタビューで下記のように語っています。
試合での良かったことや悪かったことなどをノートに書かせていました。そこで大切なのは、悪かったときに次に何をすれば課題を克服できるのかを考えて行動に移すことだと思っていました。
それらを字で書き残すことによって、しっかりとやるべきことを頭に入れてほしかった。つまりは、練習における意識付けですね。野球ノートを始めたいちばんのきっかけは、そこにありました。
引用元:東洋経済オンライン
そして、野球ノートのほとんどのページには、下記の3つのことが書き込まれており、現在でも大谷翔平選手の心の奥に生き続けています。
・大きな声を出して、元気よくプレイする。
・キャッチボールを一生懸命に練習する。
・一生懸命に走る。
引用元:東洋経済オンライン
なお、大谷翔平選手は「3つの教えは基本的なものですが、今でも覚えています。それは、いつどのステージに行っても言われ続けることだと思います。」と語っています。
そんな家族みんなが高身長でスポーツが得意なアスリート家系で育った大谷翔平選手の今後の活躍を楽しみに、引き続き応援していきます。
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