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九重部屋所属の千代の国は、2006年5月場所に初土俵を踏み、多くの怪我に悩まされて来ましたが、何度も這い上がり、幕内力士として注目を集めています。
プライベートでは、2017年に結婚した嫁が綺麗という多くの反響があります。
さらに、嫁が以前やっていたブログから2人の色々なエピソードが知られることになり、2人の絆の深さにも多くの反響があります。
そんな千代の国について、嫁の林愛さんが綺麗【顔画像】・結婚の馴れ初めや暴露話・Wikiプロフィールまとめという流れで、詳しくご紹介していきます。
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千代の国の嫁の林愛さんが綺麗【顔画像】
千代の国は、女性誌「anan」で特集されるほどの甘いルックスで、多くの相撲ファンの間でイケメンと言われています。
そして、そんなイケメン力士の千代の国は、2017年4月25日に入籍しました。
お相手の女性は元会社員で、大阪府堺市出身の林愛(はやしあい)さんです。
下記は、千代の国の嫁である林愛さんの画像の一覧です。
上記の画像より、確かに綺麗であることが分かりますし、誰もが羨む美男美女のお似合い夫婦だと思います。
そんなイケメン力士を射止めた嫁の林愛さんは、相撲ファンから綺麗と多くの反響があります。
なお、2人は1990年生まれでの同い年であり、7年間の交際を経てゴールインに至りました。
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千代の国と嫁の結婚の馴れ初めや暴露話は?
千代の国と嫁の出会いのきっかけは、2010年の大阪場所後の食事会で同席したことでした。
ちなみに、嫁は大阪場所の会場で従兄弟とアルバイトでアイスクリームの売り子をしており、従兄弟と親方が仲が良かったことから、食事会に呼ばれたそうです。
その時の食事会にて、千代の国は、同い年の嫁が上手に心配りをされていたことにとても感心して、好感を持っていました。
一方、嫁は、最初は全然意識していなかったそうです。
そんな現在では美男美女の夫婦となった2人について、結婚の馴れ初め・暴露話という流れで、ご紹介していきます。
千代の国と嫁の結婚の馴れ初めは?
2人が交際を始めたきっかけは、千代の国からの電話での告白だったそうです。
しかし、告白した日が4月1日だったため、告白が冗談だと思い「エイピリルフールやろ」とツッコミを入れたそうです。
千代の国は、即座に「たまたま!日にちは関係ないから!」とフォローしました。
そして、嫁は「じゃ、いいよ。」と即答し、そこから遠距離恋愛がスタートしています。
付き合い当初、千代の国は幕下力士でしたが、4年後の2014年に前頭に昇進を果たし、幕内力士になりました。
どうやら、相撲界では「幕下以下は、半人前と扱われ、結婚は十両以上から」という習慣があるそうです。
そのため、千代の国は前頭への昇進をきっかけに嫁にプロポーズをし、東京へ呼び寄せました。
しかし、東京へ呼びよせた後に、怪我の影響で幕下力士に降格してしまい、「結婚は十両以上」という習慣から結婚のタイミングを逃してしまいました。
幕下以下の力士には、給料が発生しないため、それまで同棲していた3LDKからワンルームに移り、二人三脚での復活への戦いが始まりました。
その時に、千代の国は「このままでは絶対に終わらせない、だから信じてくれ。」と嫁に想いを伝えました。
そして、その真っ直ぐな強い想いに嫁も「そばで全力で支えよう。」と覚悟を決めたそうです。
嫁は、航空会社の地上員として就職、調理師免許とアスリートのためのボディーケアの資格を取得しています。
上記のような嫁の献身的なサポートと千代の国の不屈の努力のおかげで、幕内力士への復帰を果たし、2人は結婚に至りました。
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千代の国と嫁の暴露話とは?
20歳頃から付き合い始めた2人は、本当にラブラブだったようであり、嫁はかつて「相撲ダーリンとラブラブログ!」というブログをやっていました。
このブログは、嫁の感じたままのことが書かれた日記帳のようなもので、ラブラブツーショット画像・電話での通話内容・きわどいプライベート写真などが事細かに書かれています。
なお、現在はこのブログは、インターネット上には残っていないようですが、ブログの一部が「魚拓」というサイトに残っていました。
そのブログの内容から、一部のエピソードを簡単に下記にご紹介していきます。
千代の国が、幕下から徐々に番付を上げていく姿を見て、力士の彼女としての苦悩などが書かれています。
関取になり、芸能人に出会えたり、色々な人にチヤホヤされる。
周りから関取の彼女なんだからと重圧のかかる言葉を言われる。
引用元:魚拓
上記のように「有名になった千代の国が心変わりするのではないか」という不安や周りからの「関取の彼女なんだから」という重圧から、千代の国にきつくあたってしまうこともあったそうです。
しかし、千代の国は「周りの事は気にしなくていいから!大丈夫から!」と優しく包み込んでくれ、嫁も「支えられる彼女になろう」と決意しています。
その後、自分から進んで挨拶をするなど、力士の彼女としてふさわしくなれるよう努力をしたそうです。
その結果、周りからも「変わったね!」と言われるようになり、嫁の千代の国への愛の深さを知れる内容でした。
上記のように、嫁のブログどーるはとても赤裸々に語られているため、千代の国のファンを不快にさせることもあったかもしれません。
しかし、現在の千代の国の活躍があるのは、幕内復帰まで支え続け、二人三脚で共に頑張ってきた嫁の存在が非常に大きいということがブログから分かりました。
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千代の国のWikiプロフィールまとめ
千代の国は、2005年5月場所で初土俵を踏んでいますが、両肩に脱臼癖があり、昇進や降格を繰り返し、現在の活躍までに苦労をしている力士です。
さらに、兄は同じ九重部屋に在籍していた千代の眞であり、2012年9月場所後に引退しています。
そんな千代の国について、Wikiプロフィール・相撲を始めたきっかけという流れで、ご紹介していきます。
千代の国のWikiプロフィール
名前:千代の国 憲輝(ちよのくに としき)
本名:澤田 憲輝(さわだ としき)
愛称:トシキ・九重三羽鳥・日の丸・クニちゃん
生年月日:1990年7月10日
年齢:34歳(2024年時点)
出身地:三重県伊賀市
血液型:A型
身長:181cm
体重:148kg
趣味:鍼・整体
得意技:突き・押し・右四つ・寄り
所属部屋:九重部屋
最高位:前頭参考元:Wikipedia・日本相撲協会公式サイト
千代の国の家族構成は、父親・母親・4つ上の兄・2つ上の姉の5人家族です。
なお、兄弟たちは、数々の大会に出場し賞を独占するなどして伊賀の澤田3兄弟と全国に名が知れ渡るほどでした。
姉の情報はありませんでしたが、兄と千代の国は力士として活躍しているので、アスリート家系であり、父親の幼少期からの教育が現在の活躍の原動力となっているのだと思います。
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千代の国が相撲を始めたきっかけは?
千代の国は、寺院の息子として生まれ、幼少期から父親に空手を習うなど大の格闘技好きでした。
そして、幼少期に千代の富士ファンの父親と九重部屋に名古屋場所宿舎へ稽古見学に行きました.
その時に、力士の強さに感動したことがきっかけで小学4年生の時に「将来は力士になる」と決めていました。
なお、見学の際にしゃぶしゃぶ鍋谷ウナギなどの御馳走を振る舞われたことも心が動いた要因だったそうです。
あるインタビューで「九重部屋に入ったらこんな御馳走を毎日食べられるのか?」と驚いたと千代の国は語っています。
名張市立北中学校では、柔道部に所属し主将を務め、全国大会ではベスト16という成績を残しています。
中学卒業後、2006年に九重部屋に入門、2006年5月場所にて、本名の澤田で初土俵を踏みました。
しかし、両肩の脱臼癖があり、序二段と三段目時代には、苦労を余儀なくされました。
その後、十両へ上がれる位置と成績ではありませんでしたが、大相撲八百長問題で大量の引退力士や解雇力士が出たため、2012年7月場所において、20歳で新十両への昇進を果たしています。
下記は、現在までの千代の国の優勝や賞などの経歴です。
十両優勝:3回
幕下優勝:2回
三段目優勝:1回
序二段優勝:1回
敢闘賞:2回
金星:1個
千代の国は、多くの怪我に悩まされていますが、新入幕の前からしばらくは、腕立て伏せ1,000回・しこ500回で徹底的に鍛えこんでいたそうです。
なお、兄は千代の国が初めて三賞を獲得した時に下記のように語っていました。
もう弟というより、立派な関取です。私も相撲の世界にいましたが、幕内に上がるだけでもすごいのに、まさか三賞とは。
引用元:Wikipedia
上記のように、努力の力士である千代の国ですが、得意の突き押しで、今後の優勝争いに組み込む活躍が楽しみです。
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