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田子ノ浦部屋所属の高安は、2005年に初土俵を踏み、最高位は大関です。
さらに、横綱から金星を5個も奪っており、次の横綱候補として期待されている力士の1人です。
なお「母親がフィリピン出身でハーフ?」・「父親の職業は?」など大相撲ファンから相撲の取り組み以外にも家族に関しての反響が多いようです。
そんな高安について、高安はハーフ・母親は美人でフィリピン出身【顔画像】・父親の職業という流れで、詳しくご紹介していきます。
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高安はハーフ?
高安の家族構成は、父親・母親・兄の4人家族です。
そして、母親はフィリピン出身なので、ハーフです。
しかし、茨城県土浦市の出身であり、日本生まれ日本育ちなので、稀勢の里に続いて、日本人横綱になる可能性がある力士です。
そんな高安について、Wikiプロフィール・現在までの経歴まとめという流れで、ご紹介していきます。
高安のWikiプロフィール
名前:高安(たかやす)
本名:高安 晃(たかやす あきら)
愛称:ヤス・クマちゃん
生年月日:1990年2月28日
年齢:34歳(2024年時点)
出身地:茨城県土浦市
血液型:A型
身長:187cm
体重:184kg
靴のサイズ:35.0cm
趣味:音楽鑑賞・キャッチボール
所属部屋:田子ノ浦部屋
最高位:大関参考元:Wikipedia・日本相撲協会公式サイト
高安は、画像からも優しそうな印象がありますが、普段は穏やかな人物であり、13代鳴戸親方からは「土俵に入ったら人格を変えろと。」と闘志を出すように言われるほどの穏やかな性格です。
また、趣味にキャッチボールとありますが、幼少期は野球少年であり、小学4年生からリトルリーグに所属していました。
なお、当時の巨人で活躍していたドミンゴ・マルティネスに似ていたことから、あだ名はマルちゃんでした。
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高安の現在までの経歴まとめ
高安は、中学卒業後に鳴戸部屋に入門、2005年3月場所において、初土俵を踏みました。
その後、2010年9月場所では、西幕下13枚目の位置で7戦全勝の成績を挙げて、幕下優勝を果たし、2010年11月場所において、新十両へ昇進しました。
なお、千賀ノ浦部屋の舛ノ山と共に、平成生まれでは初となる関取力士となりました。
そして、着々と勝ち星を増やし、2011年7月場所から新入幕を果たします。
さらに、2014年9月場所で小結へ昇進し、平成生まれでは初の三役力士となりました。
その後、2017年5月場所で大関昇進の条件を達成し、見事に大関昇進を果たしています。
大関昇進時のインタビューで以下のように力強く口上を語っており、正々堂々について、三役に定着する1年ほど前から温めていた言葉だったそうです。
大関の名に恥じぬよう、正々堂々精進します。
引用元:日刊スポーツ
下記は、現在までの優勝と賞の一覧です。
幕下優勝:1回
殊勲賞:4回
敢闘賞:6回
技能賞:2回
金星:5個
高安は、右大腿筋群損傷・右内転筋筋損傷・左上腕三角筋部分断裂などの度重なる怪我に苦しんでいます。
しかし、着実に勝ち星を重ね、優勝争いにも食い込んでいるので、今後の活躍も楽しみだと思います。
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高安の母親は美人でフィリピン出身【顔画像】
高安の母親は、高安ビビリタ(たかやすびびりた)さんいい、フィリピン出身です。
また、母親は以前までは店を経営していたそうで、フィリピンレストラン「Salo Salo」という名前です。
しかし、現在は調べても出てこなかったので、閉店してしまっている可能性が高いです。
なお、次男で甘えん坊であったため、母親に怒られたことがなかったと語っています。
さらに、入門後の息子を心配した母親が、大好物のビーフシチューなどを部屋まで届けたことが何度もあったそうです。
そんな母親の愛情をたっぷり受けた高安は、2019年10月に2年間の交際を経て、演歌歌手の杜このみさんと婚約し、新しい家族となりました。
ちなみに、高安と元AKB48の秋元才加さんは幼馴染であり、母親が経営していたレストランによく食べに来ていたそうです。
どうやら、高安の母親と秋元才加さんの母親が、フィリピン人同士で友人関係にあり、2人は知り合いになったようです。
なお、幼少期の2人は、よくケンカをしていたようであり、2015年にフィリピン大統領のアキノさんが来日した時に、15年ぶりの再会を果たしました。
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高安の父親の職業は?
高安の父親は、高安栄二(たかやすえいじ)さんといいます。
父親は、茨城県内で複数のエスニック料理店を経営していました。
しかし、2006年頃にすい臓がんを患い、現在では「できる範囲の仕事しかできなくなってしまった。」と語っており、全ての店を閉店せざるおえなかったそうです。
高安は、その時の心境を大関昇進直後のインタビューで以下のように語っています。
父親が望むことは相撲で大成すること。そういう状況で「頑張れ」と言われてすごく身に染みた。ウカウカしていられない。結果を出して喜んでもらいたいという気持ちが強かった。土俵に足がつくようになって番付も上がった。
引用元:Wikipedia
なお、父親の勧めがきっかけで、中学卒業と同時に鳴戸部屋に入門しました。
父親は「横綱の部屋に預ければ、運が良ければ関取になれるかも」と考え、「見るだけ」と言って、高安を車に乗せるとアポなしで鳴戸部屋へ向かいました。
しかし、高安はその時「絶対に嫌だ!」と見学を拒絶していたそうです。
ちなみに、入門当初の高安は、厳しい稽古に耐え切れず、7回~10回ほど脱走したことがあると父親が語っています。
なお、入門当初から本名のままで力士を続けているのですが、その理由について、父親と高安は下記のように語っています。
昔、大阪に高安村(現在の八尾市)というのがあって、ご先祖様はそこです。天智天皇(中大兄皇子)のころからある名字だそうです。
西暦600年代の大化の改新の時代からある由緒正しい名字で、後援者からも、「このまま変えないでほしい。」という声が挙がっています。一族が「高安のしこ名で相撲を取ってくれたらありがたい」と言っています。「高安」姓をみんなに知ってもらいたい。
引用元:Wikipedia・スポーツ ZAKZAK
上記のように、父親の影響で相撲界に入った高安の活躍の原動力は「父親に喜んでもらいたい。」という強い気持ちから来ているのだと思いました。
そんな高安は、右大腿筋群損傷などの度重なる怪我に苦しんでいますが、着実に勝ち星を重ね、優勝争いにも食い込んでいるので、今後の活躍も楽しみだと思います。
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