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中島翔哉選手は、2023年から浦和レッズに移籍、日本代表選手としても活躍するプロサッカー選手です。
なお、母子家庭であり、母親の献身的なサポートが学生時代から現在までの活躍の原動力となっています。
そんな中島翔哉選手について、Wikiプロフィールまとめ・母子家庭・中学高校の経歴と現在の活躍は親孝行のためという流れで、詳しくご紹介していきます。
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中島翔哉選手のWikiプロフィールまとめ
中島翔哉選手は、日本代表のMFとして、堂安律選手・南野拓実選手と同じく、将来を期待された若手選手です。
さらに、あの香川真司選手に代わり、日本代表の背番号10を背負いプレーしています。
そんな中島翔哉選手について、Wikiプロフィール・従兄弟もプロサッカー選手・愛犬と練習をしてたという流れで、ご紹介していきます。
中島翔哉選手のWikiプロフィール
名前:中島 翔哉(なかじま しょうや)
生年月日:1994年8月23日
年齢:30歳(2024年時点)
出身地:東京都八王子市
身長:167cm
体重:62kg
利き足:右足
ポジション:MF・FW
所属チーム:浦和レッズ
背番号:23参考元:Wikipedia
中島翔哉選手は、2017年から背番号をそれまでの39番から23番に変更しました。
その理由としては、自身の誕生日が8月23日であることから、元々23という数字に思い入れがあったからだそうです。
そして、23番が空き番号になったタイミングで当時の所属クラブ側に申し入れをして変更、ポルティモネンセSCでも23番を背番号にしていました。
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中島翔哉選手の従兄弟もプロサッカー選手?
中島翔哉選手の母方にあたる従兄弟は小池龍太選手であり、柏レイソル所属のプロサッカー選手です。
名前:小池 龍太(こいけ りゅうた)
生年月日:1995年8月29日
年齢:29歳(2024年時点)
出身地:東京都八王子市
身長:169cm
体重:64kg
ポジション:DF
所属チーム:横浜F・マリノス参考元:Wikipedia
2人は年齢も近いですし、身長も同じくらいのようですが、親戚の中から2人もプロサッカー選手が出るとはすごい家系だと思います。
そして、2017年5月14日の「FC東京 VS 柏レイソル」では、途中出場した中島翔哉選手とマッチアップし、従兄弟対決が実現しました。
今後は日本代表として、二人が同じピッチで共に闘う姿が見られる日もくるかもしれませんね。
中島翔哉選手は愛犬と練習をしてた?
中島翔哉選手は、幼少期から実家で犬を飼っていたそうです。
とにかくサッカー好きな少年であり、家でもボールを離さず持っており、寝るときもサッカーボール、そして、愛犬と一緒だったようです。
そして、サッカーのトレーニングも愛犬と一緒に行うこともあったそうです。
その方法というのが、「愛犬がボールを中島翔哉選手から奪おうとじゃれ合うように追っかけ、愛犬にボールを取られないようにキープする」という野生感溢れる方法でした。
この練習方法は、小学生の頃から始まり、Jリーガーになってからも、朝のランニングを愛犬と一緒に行き、そのまま公園で自主トレに付き合ってもらっていたそうです。
さらに、中島翔哉選手がポルトガルに移籍する時も、家族と一緒に愛犬も連れて行き、慣れない地での癒し的な存在になっているとインタビューで語っていました。
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中島翔哉選手は母子家庭?
中島翔哉選手は、6歳からサッカーを始めていますが、同じ時期に両親が離婚をしました。
それ以降、中島翔哉選手は、母親の方に引き取られ、女で一つの母子家庭で育ちました。
中島翔哉選手の母親の名前は、中島こずえさんといいます。
上記が唯一の母親の写真となりますが、母親の中島こずえさんは、一般人の方なので、年齢や職業などの情報はありませんでした。
限りある情報の中で、母親は摂食障害という病気を持っており、何度も入院しながら、サッカーが大好きな息子のために、体調が良い時は働き、稼いだお金は、息子のクラブ費などに充てていたようです。
その他にも借金を抱えることになったり、勤めていた会社が倒産してしまったりと不幸が相次いだという情報もありました。
そのような状況の中で、中島翔哉選手は、小学生の時からサッカーとフットサルの2つのクラブに通っていました。
また、中学生の頃には、ブラジルへサッカー留学を3回も経験しています。
上記から、中島翔哉選手の中学高校・現在の活躍の影には「息子が大好きなサッカーを続けさせたい」という母親の大きな愛情があったのだと思います。
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中島翔哉選手の中学高校の経歴と現在の活躍は親孝行のため?
中島翔哉選手は、母子家庭で大変な中、自分が好きなだけサッカーをさせてもらい、現在では日本代表にまでさせてもらったということから、母親にとても感謝をしています。
そんな大好きな母親への親孝行のために、中島翔哉選手は母親とある約束をしていました。
その約束を果たすために、プロになって活躍できるように中学高校・現在とがむしゃらにサッカーに打ち込んできたのだと思います。
そんな中島翔哉選手について、中学時代の経歴まとめ・高校時代の経歴まとめ・現在の活躍は親孝行のため・親孝行が素敵という流れで、ご紹介していきます。
中島翔哉選手の中学時代の経歴まとめ
中島翔哉選手は、八王子市立別所中学校の出身であり、東京ヴェルディジュニアユースに所属していました。
ちなみに、小学生の時には、ヴェルディジュニアに所属、全日本少年フットサル大会でベストプレーヤー賞に輝いています。
中学生時代には、ブラジルへサッカー留学を3回も経験しています。
中島翔哉選手の中学時代の主なタイトルや個人賞などの受賞の情報がありませんでしたが、ブラジルへ3回もサッカー留学をしていることから、出場機会がなかっただけだと思います。
上記のように、サッカーのレベルが高いブラジルでの留学経験が高校でのすごい経歴に活きてくるのですが、母親の金銭的・精神的な支えがあったおかげだと思います。
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中島翔哉選手の高校時代の経歴まとめ
中島翔哉選手は、東京都立調布南高等学校・第一学院高等学校の出身であり、東京ヴェルディユースに所属していました。
下記は、高校時代の主な経歴の一覧です。
【東京都選抜】
「国民体育大会サッカー競技」優勝
【東京ヴェルディユース】
「日本クラブユースサッカー選手権」連覇
【U-17日本代表】
U-17ワールドカップのブラジル戦で初得点
【個人タイトル】
「日本クラブユースサッカー選手権」
ベストヤングプレイヤー賞
【記録】
2012年2月:2種登録選手
2012年9月14日:J2初出場・初得点
2012年10月:リーグ最年少ハットトリック達成
高校3年生の時に、東京ヴェルディでプロサッカー選手となり、U-17日本代表としても活躍しています。
高校時代の活躍でプロサッカー選手になれた原動力は、やはり今まで支えてきてくれた母親への恩返し、親孝行をしたいと気持ちが大きかったのではないかと思います。
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中島翔哉選手の現在の活躍は親孝行のため?
中島翔哉選手は、高校卒業後は下記のように所属チームが変わっていますが、着々と実力をつけています。
- 東京ヴェルディ
- FC東京
- カターレ富山(期限付き)
- ポルトガルのポルティモネンセSC
- カタールのアル・ドゥハイルSC
- ポルトガルのFCポルト
- アラビアンガルフリーグのアル・アインFC
- ポルトガルのポルティモネンセSC
- トルコのスュペル・リグ・アンタルヤスポル
- 浦和レッズ
下記は、現在までの主な経歴の一覧です。
【クラブ】
アミールカップ:優勝
プリメイラ・リーガ:優勝
タッサ・デ・ポルトガル:優勝
スーペルタッサ・カンディド・デ・オリベイラ:優勝
【U-23日本代表】
AFC U-23選手権:優勝
【個人タイトル】
J2最優秀ゴール賞
AFC U-23選手権:MVP
【記録】
2014年8月30日: J1初出場
2015年6月20日: J1初得点
【日本代表】
国際Aマッチ:19試合出場・5得点
2018年3月24日のマリとの親善試合で日本代表としてデビュー、初出場ながら初得点を挙げています。
さらに、コパ・アメリカ2019にて、グループリーグ全3試合に出場、エクアドル戦で得点を挙げ、マンオブザマッチにも選ばれました。
そんな日本国内に留まらず、海外からも注目のサッカー選手にまで成長を遂げた中島翔哉選手は、母親とのある約束を果たすことになりました。
中島翔哉選手の親孝行が素敵?
中島翔哉選手は、プロになったら、母親とある約束をしていました。
そのある約束というのは「いつか家を買ってやる」ということでした。
中島翔哉選手が、いかに母親に感謝しているかが伝ってきます。
「女で一つでここまで育てることの大変さ」・「大好きなサッカーを続けさせてくれたこと」への恩返しだったのだと思います。
中島翔哉選手は、22歳の時に都内に家を購入し母親にプレゼントしました。
きっと母親は、息子が大好きなサッカーで活躍するだけでも嬉しいだろうに、家までプレゼントしてくれて、心の底から嬉しかったのではないかと思います。
親が子を子が親を本当に大切に思っている素敵な親子だと思いました。
そんな素敵な親子の絆を持っている中島翔哉選手の今後のポルトガル・日本代表としての活躍を楽しみに引き続き応援していきます。
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